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10.30.2011

命日

10月31日は、急遽我が家に迎え入れたtonoという白ねこの命日だ。明日で丸四年になる。

そもそもcantoに出会わなければ、このわたしが、かなり悪質なねこアレルギーを持っていたわたしが、うちでねこを養おうなんて発想はでてくることはなかった。cantoに出会って、cantoと自分のアレルギーを天秤にかけて、cantoが勝ってしまったんだよね。一生、アレルギーの薬を飲み続ける覚悟をした。にしても迎え入れた当初はきつかった覚えがある。そもそも、ねこを飼っているお宅にお邪魔するだけで、仮にそこにねこの姿はなくても、目はしょぼしょぼ鼻水ダラダラ、終いにはくしゃみが止まらなくなりそのお宅の方に謝られたりすることがよくあった。そのぐらいひどいアレルギーだった。なので、cantoがうちにやってきて、目はしょぼしょぼ鼻水ダラダラくしゃみ連発、プラス皮膚がかゆかゆの日常に突入したのだ。がしかし、数ヶ月経った頃、アレルギーの症状が緩和していることに気付いた。もしくは、気付いたらアレルギー症状が激減していた…と言った方が正しいか。とにかく、なんだかよくわかんないけど、きっと遺伝子レベルでねこを受け入れたに違いない!と、自分の身でもって「人体の不思議」を実感したのだった。

tonoはまだこねこだった。真っ白で額のほんの一部にグレーの毛があり、オッドアイの男の子だった。彼の辞書には「物怖じ」という言葉はなかったらしく、ねこにもニンゲンにも躊躇せず突進していくまるでねこらしからぬ性格で、でもとても愛らしい子だった。

うちにいたのはわずか1週間程度。具合が悪そうだったのを見兼ねて、毎日ご飯をあげてくれていたNさんが病院に連れて行ってくれて、入院する場所がなかったので困ってうちに「預かってくれないか」と連絡を入れてきたのだった。うちに来てからも具合は改善せず、再びわたしが病院に連れて行ったらいきなり「状況は厳しい」と入院させられてしまった。

tonoがなくなった時の絶望感やら虚無感やら、未だに覚えている。亡骸を病院に迎えに行ったときのあの辛い気持ちは絶対に忘れられない。

その時わたしは、全ニンゲンを恨むことができた。tonoをこんなにもかわいそうな目に遭わせたのは、全てのニンゲンのせいだと信じて止まなかった。この世に存在する全てのニンゲンが、ほんの少しずつでも他の命に思いやりを持っていたならば、きっとtonoをこんなに惨い目にあわせなくて済んだのかもしれないと思うと、道ですれ違う全てのニンゲンを殴り倒したい衝動に駆られて仕方がなかった。全員が悪い、だからtonoは死んだ…と思った。

今。さすがに、道ですれ違う全てのニンゲンを殴りたいとは思わなくなったが、ある特定のニンゲンを除く他のニンゲンには全く興味がなくなった。それは友達であっても。親戚であっても。興味がなくなった…というのは具体的には、その人が困っていようが苦しんでいようが全く共感や同情をしなくなったこと。だって関係ないんだもんわたしには。そうなったら、なんとも人生がラクになった。ねことかいぬとか、ニンゲンに虐げられる命に献身できるからね。ニンゲンがどんなに不幸でも、たとえそれが知人であってもわたしは知らない。関係ない。でも、近くで動けなくなったねこをみつけたらすぐに病院に連れて行っちゃう…躊躇なくそういう行動を取れるようになった。ラクだ。

無責任?ヒトによってはそう受け止めるだろうけど、だいたい誰かや何かに責任押し付けて自分は高見の見物ってどうなのよ??て思う。責任って誰かに押し付けるものじゃなくてさ、自ら背負うものなんじゃないのかな。いい年過ぎたオトナたちがそんな自覚もなく他の命への感謝もなく生きているのを見るにつけ、本気でニンゲンと関わらないで生きていくぞと決意を新たにするのだ。

tonoが教えてくれたことは間違っていないと、4年が過ぎて改めて思う。

にしても、tonoが死んじゃったからうちのねこはこんなに増えたんだよー。あのばかねこめ!とはN談。まぁそれも事実。あの時目の前にいる子を全部うちに入れちゃったんだからね。だって死なれたくなかったんだもん。里親探そうとかも考えたことなかったしね。仮に見つかっても、その人のこと信用できなかったろうし。犬猫屋敷さんがよく、犬猫飼いのことを「イっちゃってる人々」と形容しているのだけど、わたしも時々自分のことをそう思う時があるようなないようなないようなあるような。うーーん。だとしても、わたしがいっちゃった人々になってしまったのはtonoのせいよね。そうだ。tonoに責任押し付けてしまえ。えいっ。

2 件のコメント:

mito_and_tanu さんのコメント...

今晩は。コメントありがとうございます。tono君、短い間だったかもしれないけれど、きっと幸せだったでしょうね。
実家にも、Milk君という保護した猫が以前いまして、その子はある方に見初められて里親さんになっていただいたのですが、慢性の腎臓病なのがわかりました。里親さんはそれでもMilk君の事をずっと可愛がってくれたのですが、数年(たしか2年程)で虹の橋を渡っていってしまいました。 でも、里親さんがその後別の子猫たちを里子として迎え入れてくれるきっかけになったり、Milk君はきっと幸せだっただろうなと思っています。
いつかは、別れがあるわけですけど、tono君は信じられる人たちと一緒で幸せだったと思うわけです。
三毛姉さん、あの日から何事もなかったように毎日神社に来ます。本当にどこでどうしていたのやら…
姿が見えないとついつい、最悪の事を考えてしまうので、本当によかったと思っています。 福ちゃんも最近ふくよかになってきましたよ(笑)。今も横でにゃごにゃご言ってます。

あさみ さんのコメント...

mito_and_tanuさんにそうおっしゃっていただけると本当に心強くてなんだか泣けてきます。tonoは本当に不思議な子で、いたのが夢だったのではないかと錯覚してしまいそうなぐらい。ふくちゃんも元気そうで、写真を見るたびにこちらも幸せな気分になれます。milkくんはきっと姿を変えてその里親さんのところにいったのかな。らっかはそう考えると、夏に動けなくなって保護してあっという間に亡くなった子がうちにきたのかなー。だってその子にわたし、すぐに戻ってきな!って言いつけましたから(笑)