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2.21.2008

Nのことを少し

 Nは今、中学3年。世間的に言ってみれば「受験生」。だが、Nは「受験生」であることを投げ捨てた。とても潔い決断であった。一応テストを受け、合格し、この春から通信制の高校に通い始める。
 Nが中学校に行かなくなって早1年経つ。学校に行っている時は毎日体のどこかしらが不調で、うちにいる時は常に仏頂面で、学校から帰宅してうちに駆込むなりバッグを床になげつけて大号泣、なんてことは数え出したらキリがない。学校で陰湿ないじめにあっていたわけではない。ならば、何故彼女はそんなにもくる日もくる日も、不機嫌にならなければならなかったのか…
 中学2年から3年というのは、自分の経験から言っても、非常に面倒でややこしい時代だ。だからこそ、なにもかもテキトーに流してお気楽に日々を過ごせばよいのに、彼女にはできなかった。できないものは仕方ないのである。
 責任感が強くおまけに正義感も強く更に正しいと感じたことを自らの口で主張せずにはいられない。そもそもこんな性分を抱えながら、日本の義務教育下の「中学校」へ毎日のほほんと通えるはずがないのだ。
 これは小学校5年の時のこと。掃除の時間。そこにNがいるから、彼女にその場の取り仕切りを任せて、担任はその場から離れた。担任の姿が見えなくなれば、当然こどもたちはさぼり始める。が、Nは一所懸命掃除を続け、その上掃除をしない友達に注意をした。…「そしたら、友達は何も言わないでみんなでわたしを睨むんだよ。わたし、泣いちゃった」とNはその時の様子をわたしに話してくれた。「睨まれたから悲しくて泣いちゃったの?」と尋ねたら「やらなきゃいけないときにやることをできない人が可哀相で泣いちゃった」と彼女は答えたのだ。…Nはそういうニンゲンなのである。幼い頃からそうなのである。
 彼女にとって、目の前にいる友達が敵だったのではない。例えそれがその子にとって不本意だとわかりつつも、「体制」に流れのまま飲み込まれることを無言で強いる。曖昧な「正しい」のそれも上澄みだけをヒステリックに唱える。そんな、こどもたちの周囲にいる無力なくせにやたら偉そうな大勢の「大人」たちと闘っている気がしてならない。
 こどもたちは常に「今」の空気をたっぷり吸い込みながら懸命に生きている。吸い込んだら呼吸困難になってしまうNのような子もたくさんいるはずである。わたしたち大人には、苦しがっているこどもたちの背中をさすって、一緒に深呼吸する余裕が果たしてあるのだろうか。空気自体をきれいに変えていこうとする気概があるのだろうか。
 Nの約一年の闘いは、勝利に終わったと感じる。大方の同年代が目指し進む、受験などというくだらないシステムを踏み潰して、自分だけの「道」を見つけることができ、そこへ一歩踏み出したのだから。彼女は、「自分の人生は自分で作るのだ」という実感を得たと感じている。なぜなら、そこにこれっぽっちも恨み言がないから。
 「オーラは30代だよね」と、先日近しい友達に宣告されたN。でも、まだまだ14歳。犬もネコもドイツ語も幕末も、好きなだけ思う存分学んでもらいたい。そして、いつまでもわたしの同志であってもらいたい。

2.06.2008

ねこ⑤

 H氏の元で、cantoはどんな様子で暮らしていたのだろう。

 H氏はNに、写真つきのcantoの様子の詳細メールを、非常にこまめに送ってくれていた。優しい心遣いに感謝。わたしは、cantoをH氏宅に送り届けた。そして、cantoがキャリーから出てくる姿を一目見てからH氏宅をあとにしようと目論んでいた。だが、でてこない。お腹が減っているだろうから、キャリーの前にえさを置いて誘導してみた。それでも、出てこない。うまくつられて出てきても、すぐにハッと我に返る感じで、キャリーの中に戻ってしまう。相当警戒しているようだ。cantoはノラ時代から、ノラとは思えないほどニンゲンに愛想がよかったのだが、いまひとつ「男のニンゲン」は得意ではなかったのだ。拉致があかない。H氏には非常に申し訳なかったのだが、警戒したままのcantoを放置してH氏宅をあとにした。
 それから何時間過ぎてからだろうか。Nのケータイに「cantoが出てきた」との報が入ってきたのは。辛抱強くじっと待ってくれたH氏、本当にありがとうございました。期限間近になった頃にはすっかり慣れたようで、H氏の座っている膝や寝転んでいる胸の上に乗っかっていき丸くなっていたらしい。それだけ慣れてしまったなら、きっとお別れは寂しかったに違いない。

 H氏宅から我が家に戻ってきた翌々日にcantoは去勢手術をうけた。病院からうちに帰ってきたcantoは麻酔から覚めきっておらず、足取りがおぼつかなかった。わたしの部屋まで連れて行くと、大急ぎで布団にもぐりこんだ。それから一人で眠らせておき、しばらくしてから様子を見るために布団をめくった時。眠くて体もだるいはずだろうに、覗いたわたしに応えて、目を閉じたまま、それはそれはか細い声で「にゃあ」と鳴いた。なんだか胸の辺りが熱くなった。これがこの子の本質なんだ、と感動してしまった。
 真冬に空地に生み落とされたcanto。群の先頭に立って、幼い兄弟のために、とても平和的で友好的な態度でもってわたしたちニンゲンにご飯をねだってきたcanto。この子はありのままの全部を受け入れてなおかつ、受け入れたことに恨みつらみが全くないように感じざるを得なかった。あまりにも主観的で偏った見方かもしれないが。
 同じ「いのち」のはずなのに、わたしはどうなのだろう。便利で満たされた日々の生活が当たり前に感じ、ちょっとした個人的な「面倒なこと」にイライラしたり不平を言ってみたり。…cantoの姿を見ていると反省をせずにはいられない。
 その数日後、ねこべやに戻ったcantoは、notaへの攻撃も減り(たまにある)、みんなと一緒に暮らしている。
 先住犬のmusicaがスタートで、canto,tono,nota,tace,celesteと名前でしりとりをしている。全てイタリア語。そして音楽関連語。名前が先にできて、あとからねこたちをあてがっていったのだが、恐ろしいくらいに名前の意味とそれぞれの個性が一致してしまったのだった。この偶然もわたしのネーミングセンスの一部だと思っていよう。


2.05.2008

Chi è quella piccola ragazza?

 日曜同じマンションのお隣に住むHさんと一緒にお昼をした。彼女とはお隣同士でありながら、特別に仲違いしたわけでもないのに、ここ何年か疎遠になっていた。
 約9年前、この新築分譲マンションに越してきた。新駅ができ、新設の小学校ができた、生まれたてほやほやの新しい街だった。Nはその真新しい小学校に入学する年齢だった。わたし自身いろいろあって、一年間完全なひきこもり生活の後 の新天地出発であったので、期待よりも不安のほうが大きかったことは否めない。もちろん、若干7才だったNも同様だったであろう。
 親子共々に大きな不安を抱えている中、それを凌ぐ大きな朗報が入った。なんとお隣さんの二人のお子さんAちゃんYくんが、それぞれNとWと同級だとわかったのだ。その時一気に湧いた安堵感は未だに忘れることができない。AちゃんとNは一緒に通学するようになった。
 その後、こども同士のそれぞれの交遊関係も変化し、AちゃんとNが段々と接することがなくなっていくにつれ、わたし自身もAちゃんのお母さんHさんと疎遠になっていった。
 昨年暮れ、近所のスーパーでHさんとバッタリ会ったときに、普段なら挨拶程度ですれ違うところを、彼女が「聞きたいことがあるからあとで電話していいかな」と尋ねてきた。なにがあったのかな、と思いつつ電話を待った。かかってきた電話で彼女は「犬が飼いたいからいろいろ聞きたい」ということと「久し振りにお茶でもしながらゆっくり話したい」ということをわたしに告げた。
 それから二人で都合をつけてお茶をした。そこで、わたしが彼女の口から聞いた話は、彼女の人生の苦労の道のりと、私立の中学に進学したAちゃんの悲しい体験だった。わたしの胸のうちでいろいろな思いが去来した。そして、Hさんの話をもっとたくさん聞きたい、Hさんの味方になりたいと強く思った。年が明けて、その後どうしていたかなという思いもあり、お昼に誘い日曜に至ったのだ。
 
 二人であれこれ話していく中で、このおばさんが二人揃って「まじでーー!」と奇声を発せずにいられないほどの、驚嘆すべき事実が発覚してしまった。
 Aちゃんは小さな頃から、少しばかり霊的、と言えばよいのか、特殊な能力があったらしい。電車で隣りですまして座っている人々の感情の「波動」のようなものが伝わってきたり、頭に浮かんだ数字を書いただけで計算のテスト満点をとったり…といった具合で。その話を聞いて我慢できずわたしは、Nの話をした。
 2年ほど前からNは、小さな女の子が見えるらしい。その子はうちのリビングで、宙に漂っていたり、むじかの散歩コースの公園の端で佇んでいたり。ニンゲンとは違う存在だという認識ははっきりしているのだが、決して恐ろしい存在ではないらしい。「妖精をみた!」と言って大喜びでうちに駆け込んでくるような人だから、ニンゲン以外の存在が見えてもちっとも不思議ではないな、ぐらいにわたしはずっと思っていた。わたし自身も、ほかの人が聞こえない「音」を聞いた経験をしたこともあったし…
 それを興味深げに聞いていたHさん。口許に少し笑みを携えながらわたしに「一つ話してもいい?」と口を開いた。…AちゃんとNがまだ二人で一緒に学校に通っていた頃、かれこれ6年以上も前のことになるが、Aちゃんはわたしのうちの玄関前で、見知らぬ小さな女の子をよく見掛けていたそうだ。それはニンゲンではない存在。その女の子はそこで、Nを待っていたらしい…
 それを聞いて二人で「うわーーー!」と叫ばないほうが尋常でないだろう。鳥肌が立った。今書きながら改めて鳥肌がたっている。
 Aちゃんは自分のその能力を家族以外には明かしていない。他人に言ったところで、信じてもらえるはずもなく嘘つき呼ばわりされるのが関の山だろう…ぐらいのことは理解していたのだろう。
 しかし、その女の子は誰なんだろう。きっとこころが薄汚れたわたしなんかには、見えない存在なんだろう。
 うちに帰り、その話を丸ごとNにした。Nはもちろんとても驚いた。そして非常に嬉しそうに「あの子は誰なのかなぁ」とつぶやいていた。

2.01.2008

ねこ④


これはceleste(チェレステ)



 taceがやって来てその後は、かなり「なし崩し的」に、celesteとnotaがやってきた。「ここまで入れちゃったんだから、兄弟全員入れてしまおう」と、Nとわたしの意見が一致しないわけがなかった。taceが入院しているタイミングでcelesteが避妊手術を受けるために入院した。
 初めて女の子を迎えるに当たって少々緊張していた。なぜなら、cantoの去勢手術を終えていないため、そろそろ発情期のcantoは、毎日毎日外に向かって吠えている状態だったのだ。ねこに「吠える」という形容はいかがなものか、と思われそうだが、実はcantoは「吠える」としかいいようのないような鳴き声を持っている。信じられない人は是非我が家に聞きに来てもらいたい。大いに納得していただけると確信している。
 いざcelesteを迎え、ねこ部屋にcelesteを解放した時。cantoは物凄い勢いでceleに突進、散々においを嗅ぎまくって果てはceleの上に乗ってしまう始末。Nとわたしは呆れ気味に「celeはもう産めないんだよ」と苦笑いした。celeはだいすきなcanto(兄者・訳N)に会えてひたすら嬉しそうに見えた。cantoのしつこい攻撃にもひるまないでいたが、やはりちょっとうっとうしそうにも見えたので、ひとまず可哀想ではあったが、ケージの中にいてもらうことにした。
 その2日後くらい。去勢手術を終えたnotaもやってきた。notaは本当ならばtaceが来るタイミングでやってくるはずだったのだが、如何せん負傷したtaceを優先せざるをえなかった。そんなこちらの都合で群の最後の一人にさせてしまった。捕獲にあたってくれたNSさん曰くnotaは、抵抗することもなくすんなり籠の中に入ってきた…ようだ。「みんなのとこに行くんだ」という諦めのような期待のような気持ちがあったのかもしれない。
 迎えるねこが5匹目ともなると、こちらも勝手しったるもので、ねこべやにキャリーを運んで行き、キャリーの扉を開けて、後はねこたちだけにしておいて、本人が出てきたくなったらどうぞ出てきてください…といういつもの方法で、notaにも対応した。
 しかし、どうも様子がおかしい。tace、tono、cele、とその度に目の当たりにした光景、「兄者ーーー!(訳・N)」と叫びながら、cantoにダッシュしていく姿がみることができない。notaが待てど暮らせど、キャリーから全く出てくる気配がないのだ。
 さらに、cantoの様子も変だ。未だかつて、聞いたことも無いような「音」をnotaに向かって出している。そして、体を縦に大きく伸ばすような仕草でnotaが閉じこもっているキャリーの前をゆっくりと行ったり来たりしている。

…cantoはnotaを威嚇をしている。ねこ素人の我々の目でみても、明らかだった。

 余りにもキャリーから出てこないnotaに業を煮やし、Nがキャリーの上部を取り外したその時。cantoがnotaに飛び掛った。パニックに陥ったnotaは部屋を駈けずり回り逃げ惑った。追いかけるcantoを制止しようとしてcantoを捕まえる際にNが負傷。cantoの名誉のために一言言っておくが、cantoは決して意図的にNをひっかいたワケではなかった。notaに向かおうとして瞬間にNがcantoを抱きかかえたので、勢いでひっかいてしまっただけである。cantoを捕まえ、ケージの中に入れた。
 一騒動であった。おまけにわたしはこの騒動の最中、外出していなかったのだ。帰宅して、notaの様子をみようとねこ部屋を覗いて、驚いた。ケージの片隅に小さくなって座っているcantoがいたのだから。cantoはノラ出身のくせに、非常に神経質でキレイ好きで、ケージの中に散らばっているねこ砂(おもにcanto自身が撒き散らしたのだが)を避けるように、小さな清潔なスペースに収まろうと必死だったのだ。かわいそうで、すぐさまcantoだけをわたしの寝室に移動した。最初、canto自身もこの突然の小引越にとまどっていたのだが、間もなく落ち着き、わたしの傍らで丸くなった。翌日からは、tace、cele、notaたちとcantoの別居生活が始まった。そして、わたしは慌ててcantoの去勢手術の予約に獣医に走った。
 ひょんなことから、notaとcantoのどうしようもない不仲をある人に話したら、なんとその人が「notaをしばらく預かっていい」と提案してくれた。Nに早速伝えたところ、預かってもらうならnotaではなくてcantoの方がいいのではないかという意見。確かに一理ある。notaは様々に不信に陥っている。cantoはノラ時代から愛想がよくて、どんなニンゲンにもその持って生まれた愛嬌という武器で攻撃してきた大物だ。預かってくれるといってくれたH氏への負担も、cantoの方が軽いことは目に見えている。cantoがいない間にnotaも、気心しれたtace、celeと共に我が家の生活にも慣れてくれるかもしれない。しばしの間cantoと離れ離れになってしまい淋しい、というわたしたちの一方的な感情を除けば、預かってもらえるならcanto…
 そうして、期限は去勢手術の前日まで一週間、H氏にcantoを急遽預かっていただくことになった。



これはnota