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7.24.2010

もういっぽん。



動画見ながら、あージュニアが表彰台に乗ったらどうしよう!って想像したら、もうそれだけで涙がでてきてしまう、大バカものです。

もうすぐだ!がんばれーーーー

7/19junior世界大会練

更にまとまってきました。どんどんまとまっていきます。こわいわーーー


7.22.2010

書くの忘れてた

小学教諭、少女乱暴容疑で再逮捕=東京
7月16日16時1分配信 時事通信

東京都多摩地区で08年以降に起きた小中学生へのわいせつ事件で、警視庁は16日、強姦致傷などの疑いで、稲城市立小学校教諭の大塚友意容疑者(29)を再逮捕した。容疑を認め、「4、5年前から十数件」と供述



という、事件があって、確信したね。教師になる男はとりあえず【去勢】。あ、つか、公職につく男は全員【去勢】でもいいかな。

Nと、ねこの捕獲の話をしている時に、「ニンゲン用の捕獲器ほしいよねー。おもに男の【去勢】のために。うけけけけ」なんて話してたばっかりなんだよね。「えさに何入れる?」という話題になり「高いギャラ払って、水着の若いおねーちゃん入れとくか!あとは、ラーメンとサッカーと野球でも入れときゃ、あっという間にひっかかってくれんじゃん。うけけけけ」と。

とにかく、早いところ、性犯罪者への【去勢】を法制化してもらいたい。真面目に。

7.21.2010

うっわー!!!

やったやったーーー!!!!GWにWが挑戦したこのコンテスト。こてんぱんにやっつけられたにも関わらず、懲りずに、再度サマー大会の映像審査に応募。で、見事通過!!!やったーーー!!!怒りまくって、結果オーライ(笑)





8/7(土)、開催。ジュニアのみんながアメリカから帰ってくるのは8/4。どっちも最高の結果が残せるといいなーーー

7.15.2010

Wの三者面談に行って。

中3のWは、世間的には受験生。だが、姉であるNに倣って通信制の高校へ進学することを早々と決定していた。通信制となると、「卒業」そのものが非常にハードルが高いものになる。Nの姿を間近で見てきたのだから、その厳しさはWにも正しく伝わっているであろう。…と信じたい。

この時期の中3の三者面談といえば、本来ならば、進路について、それも厳密に言うならば、自分が希望する高校と現状のお勉強の成績の照らし合わせがスタートするものだ。が、Wに関しては、随分前に行きたい高校が決まり、いわゆる「受験勉強」をアホみたいに必死にやる必要もないので、専ら世間話に終始した。ここのところ、あまり学校にも行っていなかったので「もうちょっと、学校においでよー」と先生からは釘を刺されていた。Wと言えば、ニヤニヤしながらのらりくらりと、その言葉をかわすだけである。

今日担任にも伝えたのだが、わたしは、こどもが「学校行きたくない」と言ったら、強く「行きなさい」と言えない…というか、言いたくない。基本的に、わたしが学校という場所というか存在が嫌い。同年代だけで集まって、毎日毎日顔を突き合わせて同じことをやるなんてことは、小学生で終わりでいいのじゃないかなと思う。行事の練習とかになると、一部のバカによって、きちんと練習している子たちが迷惑被ったりするし。狭い世界でのくだらない小競り合いは、日常茶飯事だし。13歳から15歳の三年間って、もっともっとたくさんの分野に足を踏み出せるはずなのに。なんだかこう、義務教育という縛りの中に子どもたちが押し込められているように感じてならない。

学校って、特に中学校って中途半端な立ち位置にいると思う。多感な子どもをたくさん抱えて、その苦労のほどは想像を超えるものだと感じてはいるが、学校を取り巻くオトナたちが、何につけ「中途半端」だからいけないのだと感じる。学校って何するところ?→勉強するところ。こんなことは誰でも答えられる。勉強をすることが最たる目的の場所なはず。なのに、「中途半端」にヒトの生活態度とやらに首をつっこんできてあーだこーだうるさい。で、最も力を注いで取り組まなきゃならない「勉強を教える」という行為がおろそかに。こどもたちが、勉強が嫌いと堂々と言えてしまうのは、学校で勉強を教えるヒトビトの努力不足なんじゃないの?と常に思っている。本来勉強って楽しいことのはず。新しい知識を得ることは、ニンゲンにとって非常に魅力的なことであるはず。「楽しい授業を作る」ということを、プロとしてとことん追求してもらいたいのだが。で、ここでネックになるのがきっと、高校受験なんだろうなぁと想像もつく。これに沿えないと、中学生がやるべきお勉強ではなくなってくるのだろう。だとしたらば、徹底的に、受験に勝てる勉強を教えてくれれば良いのに。塾並みに。…などと考えていると、やっぱり中学校って中途半端だーという思いが更に増してくる。

教師が徹して勉強を楽しく教えるためには、やっぱり子どもたちの資質も重要なんだろうなぁと、先生嫌いのわたしでさえ想像できる。子どもたちの、ヒトとしての根っこの部分に影響を及ぼしているのは、誰でもない、保護者や親という名の周囲に存在するオトナ。結局、これがダメだと全部台無しなんだなぁ。これがダメだから、先生たちは勉強を教えること以外にたっぷり時間を割かれてるのではないのかなぁ。わたしは、「学校に行きなさい」と言いたくないあまり感心できない親ではあるけれど、大事なことはきちんと子どもたちにしつけてきた自信だけはある。間違いなく。ヒトの話を聞いて受け入れて、自分の意見を言って、やるべきことはやる…先生たちが滞りなく楽しい授業を作るために必要な子どもたちの要素ってきっと、これだけでいいと思うのだ。でも、これができない。周囲のオトナがこれを育んであげられなかったのだ。

いじめ等の問題が起こると、まずヤリ玉にあげられるのは学校だ。でも、待ってよ。いじめって子ども当人同士の問題でしょう。ひいては、その子を育んだ保護者ないし親等周囲のオトナの問題なのでは?学校を責めるのは理不尽じゃないかなー。そうやっていざという時に学校ばかりを責めるから、学校だって「勉強だけじゃ」とか勘違いしちゃうんじゃないのだろうか。学校は勉強を楽しく教えてくれれば良し。なので、やっぱり、親だよ。親。子どもの間近にいるオトナがちゃんとしてなきゃ、全部台無しになってしまう。

マジで学校大嫌いで、先生職のヒトビトにも嫌悪しているわたしなのに、久々に学校に出向いて校舎に入ったら、なんだか「学校の憂い」を感じずにいられなかった。でもって、学校大嫌いなのに、擁護してしまうような考えに至ってしまった。でも、別に不本意とも感じない。でもって、Wの三者面談自体は、特筆すべきことは何もなかった…という…



回虫疑惑で、絶賛隔離中で、絶賛いじけ中の、らっかという名の茶色の毛玉

7.14.2010

自分で決められない未来

虐待による乳幼児死亡のニュースは、最近あまり珍しいものではないですよね。

今日ヤフーニュースを見ていたら、久留米で5歳の女の子が母親に虐待され亡くなった事件において、母親が、その子を洗濯機に入れて回したことがあると供述していた…との記事を読んでびっくり仰天してしまいました。あらまーー。すごい。発作的にやってしまったのかなーと思いきや、口に粘着テープを張り、手足は縛って…ということだったらしいので、もうなんか、やりたいからやったのね、あんた…と呆れるばかりでした。でもって、その行為に対して「しつけの一環として」とおっしゃってるものだから、あぁ、もうこいつ病気だな、救いようのない馬鹿、と感じるしかありませんでした。

そのニュースのことが夕飯時に話題になった際、Nが、「でもさ、その子死んだんでしょ。死んでよかったよね。下手に生きてて、そんなひどい体験のトラウマに苦しみながら生きるのって超ツライじゃん」とバッサリ。確かになぁ。一理あると思う。わたし自身がその子のことを直接救済できわけでもないし。イカレタ親の元に生まれてしまったこと自体が、もう既にその子の未来は奪われたも同然だったと言えるのかしら。宗教によっては、「子どもは親を選んで生まれる」とか「前世の行いによって現在の生が決まる」というようなことを謳うこともありますが、なんだか、この5歳の女の子のことを思うと、そんな文句さえ陳腐に聞こえてただひたすら虚しさを感じるだけです。

5歳の女の子も可哀想なのですが、本心ではそんなことはどうでもよくって、わたしにとっては、近所にうじゃうじゃいる子ネコたちの「現在」と「過去」とそして「未来」の方が気がかりでなりません。今、身近にいる子が二人。一人が4か月くらい。も一人は2か月くらい。らっかが保護されたのが推定2,3か月だったかしら。ちょうど、今外でよく会うあの子たちと同じくらいの月齢で、【おうち】ができたのだなぁ。昨日は、雨が降ったり止んだりでとても不安定な天気でした。夜中勉強を終えたNを本宅に送り届ける時に、4か月の方に会いました。いつもの駐車場。午前1時くらいに毎日ご飯をもってきてくれるおばさんがいるので、雨がそぼ降る中、健気にもその子はいつもの場所で待っていました。

あの子の現在は、きっと今わたしが見ているまま。いつもの場所でいつもの時間に、ご飯をくれるおばさんを待っている。じゃあ、この子の未来はどうなんだ。3ヶ月後、この子は、元気でこの町を闊歩していられるのか。それを決められるのは、決してこの子自身ではないのだな…と思うと、何故か涙が溢れてきました。らっかはその子と同じくらいの歳で、雨に濡れない、寒くない暑くない、ご飯がいつもある、寝心地の良いブランケットもある、【おうち】を手に入れることができたんだよね。じゃあなんでこの子は、毎日毎日こうやって、「今日もおばさんくるかな」と不安げな面持ちで、雨に濡れながら、ご飯を待ち続けなきゃならいのかな。【おうち】を得て、不自由なく生きられる子。【おうち】に恵まれず、つらい苦しいを全部自分だけで背負って生きなきゃならない子。そこの「差」は誰がどうやって決めているのでしょうか。

実の母親に殺された5歳の女の子が可哀想なら、わたしが毎日のように会うこの子も可哀想じゃないかな、とつくづく思います。5歳の女の子も子ネコも、ただ、現在を受け入れるのみで、その先にあるはずの未来が奪われたとしても、それさえ受け入れなきゃならない。自らで未来を決めることができないというのは、周囲のニンゲンに恐ろしいくらい左右されてしまうということ。周囲のニンゲンが悪魔なら、結果は「悲しみ」でしか彩られないでしょう。

しっかりしろ、オトナと呼ばれるニンゲンども。

7.13.2010

so exhausted!

久々にぶっ倒れた…。仕事も休んでしまった。

まず、ずっと寝不足だった。ねこ四匹と同室で寝ているのだが、うるさい!特に、らっか&すべ。らっかが執拗にすべをいじめるもんだから、そのやりとりの声がひたすらうるさい!騒ぎが収まったら次は、誰かがゲーしたり。すべさんが布団でしっこしたり。ともかく、2時間に一回は必ず目が覚めるのだ。そして、Nがうちで受験勉強をして、寝るために深夜本宅に戻るという生活が始まったので、Nが撤収するまでは就寝できない。N自身は「寝てていいよ」と言ってくれるのだが、なかなか、申し訳なくて寝れない。

あと、週末が驚異的に忙しい。ねこ関係の買い出し、病院、それだけなら全然差し障りないのだが、Wの妹チームのアメリカ行きが間近に迫り、悲しいかな、またまたわたしがしゃしゃり出て、応援グッズの作成準備を始めてしまった。買い出し、作成、スケジューリング、メールでの連絡…文字にすればたったこれだけのことなのだが、いやはや、ありえないぐらい時間を奪われる。そうなることぐらい、容易に想像できたのだが、想像したところで他のヒトが言い出すのを待つのは全く持って自分としては不本意なので、結局、動き出してしまう。その上、二週連続で週末深夜、親子ねこの保護を目論み、コソコソと動いている。二週連続で失敗してしまったのだが、なんとなく自分とNの中で、あの子たちの保護というのが、今期のねこ絡みの「けじめ」のように感じ、意地になっている。いや、しかし、うちの周りのねこが増えた。いやなんだけど。わたしねこ嫌いだし。

で、日曜。帰宅したら誰かの吐瀉物の中に虫が!!ひえー!これってどう見ても回虫だし。誰のものか一切わからないのだけど、ひとまず、トイレをぜーーんぶ一気に洗い、床掃除。翌朝一で先生に電話をし、とりあえず取れたたーちぇとすべのうんちを検便してもらうも、虫はおらず。…ということは、らっかか?こいつ保護された時点で、相当数の虫がいたみたいだし。まだ残ってたのかな。虫下しを全員分もらってくる。

そして昨晩。Wの夏のコンテストの映像審査用の撮影。練習不足もあり、一発では良いものが撮れず。一度食事を摂るためにインターバルを置いた際、わたし怒り爆発(笑)。そもそも、Wの本気度が丸っきりこちらに伝わってこず、イライラしていたのだ。やりたい!勝ちたい!と心底思っているヒトのパフォーマンスとは思い難かったのだ。散々説教しまくって、ブチ切れまくって、Wを追い込んだ。わたしはもう応募しない、と言ったのだが、Wはどうしてももう一度撮り直したいと言い張り、結局、23時から都内のスタジオを取って、撮り直しを敢行した。結果的には、緊張感ある良いものが撮れた。これで通過できなければ、実力そのものが足りなかったんだね、と後悔せず言い切れるものになったと思う。帰宅して、撮った動画をDVDに編集し、応募のための手筈を整え、発送した。布団に入れたのは、午前3時直前だった。

そもそも今月生理がひどく遅れて来たと思ったら、やたら、頭痛も腹痛も腰痛もひどく、薬なんてこれっぽっちも効かず。ひたすら、ツライ。世の中全部を恨めるぐらいツライ。

いつもそうなんだけど、なんで、忙しくなることや面倒なことというのは、こうも時期を違えず同時に畳み掛けるように襲ってくるのだろうか。自分でそう仕向けてるのじゃ?と、いくらかの自責の念を抱きつつも、なんかこう、無性に何かのせいにしたいわたしを咎めないでね、お願い…



チョーかわいい、ハハ。彼女はわたしの癒しです。未だに触れないけど(笑)