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1.28.2008

大きくなったら…

 今日はねこ話は一休みで(実はまだ終わっていない)
 
 わたしが住む地域のケーブルテレビの目玉番組に「わくわく一年生」というものがある。毎年春以降に、市内の全小学1年生が将来の夢をひとりずつテレビカメラの前で発表し、それがオンエアされるのである。全ての一年生を見られるのだ。いい番組だ。
 が、毎年見ていて疑問を覚えずにいられないのは、将来の『夢』を問われているはずなのに、大抵のこどもたちの口から出てくるのは『職業』。日本人の勤勉さは、着実に脈々と受け継がれているのか、と妙な気分になる。
 そしてもう一つ。その『夢』の中にやたら「ペットショップ」関係が登場するのだが、やはりここでも虚しさ半分憤り半分の居心地悪い気分になってしまう。
 そもそも、「いのち」に値段をつけて、おまけにセールまでしてしまう、ペットショップというのが、わたしは虫酸が走るほどきらいだ。Nは幼い頃から犬がありえないほどだいすきだったのだが、そんなわたしの個人的な生理的嫌悪のせいで、デパートの犬ネコを売っているような場所でもたやすく眺めさせてもらうことはできなった。
 なんの邪心もなく、いのちを売り買いする仕事を『夢』と言えてしまうこどもが大量に育っている日本という国に対して、心底怒りが込み上げてくる。今の日本の大人と呼ばれている人々は、未来の宝物であるこどもたちに、そんなことしか教えてあげられないのだ。 経済至上的な観念からいい加減離脱しないと、この国は確実に滅びる。

 ちなみに、Nが発表した夢は、「地球を知る博士」。Wは「世界を旅する人」…それはそれで親として少々気恥ずかしかったが、改めてわたしはこの子たちを誇りに感じたのだった

1.26.2008

ねこ③

 トーノが亡くなってしばらくは、気持ちの整理がまったくつかず、後悔と懺悔と悲嘆と憎悪とが、わたしの全身を満たしていた。「いのちの価値」について毎日悶々と考えていた。やっとどうにか、考えるだけでは何も生まれてこない、次は誰をうちに迎えようか、と前向きな思いが再び芽生え出したと同時くらいに、事件が起った。
 群れに突然現れた大きな男の子ねこが、群れの一人にケガを負わせた。ここでもまたNSさんの活躍により、ケガをした子は即座に病院に連れていかれ、事なきを得た。が、こちらが予測していた以上にケガは深く、3針ほど縫わなければならなかった。当座は入院していられるので大丈夫だとしても、退院したての子を寒くなり始めた外の、あまり清潔とはいえない環境下に放り出すことはしたくない…「うちに入れよう」。決断に時間はかからなかった。

 外傷の手当てとともに、去勢の手術も終えたtaceは、このような過程を経て我が家にやってきた。夏の夜中、わたしが外をふらふら歩いている時に遭遇した、cantoと共にいた三人のうちの一人がtaceだった。その時はまだ、片手で乗り切りそうな大きさだったのだが、NSさん始めこの界隈でのらねこたちにご飯をあげてくれている人々のお陰で、taceはすっかり成長していた。cantoとは正反対の性格、ご飯をもらいつつもニンゲンには警戒心をむき出しで、決して自らニンゲンに近付くことはなかったので、わたしたちに果たしてこころを開いてくれるのかというのが非常に不安だった。
 しかし、我が家のねこべやでtaceが入っているキャリーの扉を開けた瞬間、そんな不安は宇宙の彼方に飛んで行った。taceはcantoの姿を見るや否や、まるで「兄者ーー!」(訳・N)と叫んでいるかのように、猛烈な勢いでcantoの元に駆け寄っていった。そういえば、ノラ時代taceはcantoがだいすきで、いつもあちこちに放浪するcantoに、従者のようにくっついて歩いていた。久し振りに再会できたcantoに、taceはしきりにすり寄って体をぶつけ、精一杯喜びを表現しているかのようだった。cantoが近くにいる安心感によるのか、難なくわたしたちにもこころを開いていってくれた。
 tonoの死を経験したからこそ、怪我を負ったtaceを迎え入れることを即決できた。絶対こんな形で死なせたくなかった。それが例え、わたし自身のエゴ、ひいては、「人間のエゴ」として第三者に受け止められたとしても。目の前にいる「いのち」から、困っているというメッセージが自分のアンテナに届いてきたら、敏感に素早くキャッチしてアクションしたい。

 ニンゲンの発達した頭脳や複雑な感情は、きっとそうするために授かったものである、と信じてやまない。



1.16.2008

ねこ②




 名前はtono。10/31に星に帰った。

 cantoが我が家にやって来てほどなくしてから、NSさんから連絡が入った。入院していた子が出てくるのだけど、完全に回復していないからしばらく預かってもらえないか…と。

 cantoがいた群れは、わたしたちが群れを見に行くようになったころ、総勢7名で形成されていた。NSさん情報によると、全員同じお母さんから生まれた異父兄弟らしい。NSさん、只者でないのは、近所のねこたちの個体識別だけに止まらず、母親、生まれた月等々、それぞれの「子」の詳細をしっかり認識していることである。ねこたちへの、並大抵ではない大きな愛を感じてならない。その血族のみで作られていた群れに、ある日突然小さなしろねこがやってきた。それがtonoだった。
 血がつながっていない故か、群れの子たちからは、ある程度の疎外や威嚇やいじわるをされていたものの、tonoは非常に逞しく、ふてぶてしいくらいの図々しさでもって、この群れに強引に入り込んできた。群れの子たちも毎日一緒にいると慣れるのか、段々とtonoをいじめることはなくなってきた。
 ある日、群れを見にいくと、明らかに具合の悪そうなtonoの姿が目に留まった。目が、目やにか何かで開きにくそうに見えた。そしていつもなら、食べ物を出すと、群れの先住人たちを押しのけて我先に一目散に駆け寄ってくるのだが、その元気もなくグッタリした様子であった。その日はNと、心配しつつも、そのまま様子のおかしいtonoを残して帰ってきた。
 その翌々日くらいにNSさんから連絡が入り、tonoを病院に連れて行ったのだけど入院する場所がなく、点滴だけ受けて連れて帰ってきたとのこと。が、状態は一向によくならず、見かねたNSさんが、入院のできる違う病院に連れて行ってくれたのだった。

 このような経緯があった上で、急遽、tonoも我が家に迎えることになった。いつも、先手で動いてくださるNSさんのお願いがきけないわけはない。喜んで、この子が、tonoが、元気になるためにわたしたちも手を尽くそうと思った。 
 我が家に迎え入れたものの、tonoは四六時中グッタリしていた。うちに到着したばかりのときは、興奮していたのか、Nの膝にいきなり乗っかってゴロゴロしたり、cantoが高いところにいたら、自分の身の程も考えずに思い切りジャンプし、そして届かず家具の縁に体を打ちつけ落下してみたり、大きくアクションしていたのだった。しかし、食べない。一度だけご飯を食べたのだけど、その直後嘔吐と下痢をし、それから一切食物を口に入れようとしなくなった。そしてただひたすら気だるそうに横たわっているだけのtonoしか見ることができなくなった。
 心配になり、再び病院へ連れて行った。即、入院となった。その日の夕方様子を見に病院へ行った。いろんな検査をしてくれたのだけど、原因が全くわからない。実は体温も相当高かったみたいだ。が、わたしの目にtonoは、ほんの少しだけどうちにいた時より元気そうに映った。根拠のない「だいじょうぶ」で、胸の中をいっぱいにしておかないと、やりきれなかったからかもしれない。翌日も会いに行った。しかし、退院させてもらえなかった。獣医さんが言った「状況としては、厳しいです」という言葉を、あまりにも軽く受け止めすぎていた。帰り際、頭を撫でるわたしを、左右色の違うそれはきれいなオッドアイで、真直ぐに刺さるような眼差しで射抜き、「にゃあ!」と大きな声で鳴いた。

 その時が、動いているtonoを見たのが最後だった。

 全世界を恨んだ。憎しみで、こころが潰れそうになった。体の奥のほうから、涙という形で悲しみがとめどなく溢れてきた。人間であることがいやで仕方なくなった。どうして?tonoはあんなに苦しい思いばかり課せられて死ななければならなかったのか。生まれてきて死ぬまで、ずっとずっとずっと一人ぼっちだったtono。あの夜どうしてわたしはtonoを引き取って連れて帰って来なかったのか。獣医さんの言葉をもっと真摯に受け止めなかったのか。
 動かなくなったtonoを迎えに病院に行き、tonoに対面したわたしとNは同時に「ごめんなさい」と謝っていた。

 目に見えるtonoが我が家にいたのはたったの4日間だけだった。しかし、あの子がわたしたちに提示してきたものは深く広い。まだまだ答えの出せそうにないものばかりだ。ただ、ほんの少し出せたわたしたちの答えは、「tonoがいたから、今のわたしたちがある」ということ。わたしたちの中にtonoは生き続けている、ということ。


 そして、「いのち」は素晴らしいということ。
 

1.15.2008

ねこ①

 なによりも先に、昨年ハマったものたちについて。


 「ねこ」
 断然、犬の方が大好きだったこのわたしが、もののみごとに深くハマってしまった。きかっけはたくさんありすぎて、どこから攻めていけばよいのやら。長くなることを覚悟で、順を追って説明してみる。
 昨年の夏、わたしの住むマンション敷地内で、とあるのらねこが子育てをしていた。毎日目にするこねこたちのかわいさといったら!こねこの視覚的なかわいさは、殺人的だと感じた。そして、とても曖昧に、この親子全員をうちで保護して、家族として一緒にくらしてみたいと思った。

 この頃わたしは無職で、毎日のようにブラブラしていた。夜更かし朝寝坊の代表選手になっていた。そんなある日、というより、ある夜中、くだらないことで心底頭にきており、近所のファミレスででも軽く飲もうと、頭冷やしがてら表に飛び出した。ふらりふらりと歩いて、うちから200mも離れていない道路を通り過ぎようとした時、前方でねこがその道路でゴロゴロと自由に寝転んでいるのが目に飛び込んできた。3人もいる。以前なら、「かわいいな」と思いながらも横を素通りしていっただろうが、なにせマンション内の親子ねこたちのかわいさに相当やられ尽くされていたわたしは、思わず立ち止まり、低くかがんで、手招きして、「おいで」とねこを呼んでしまっていた。すると、3人のうちの1人が、こともあろうか、手招きに乗じてこちらにトコトコと近寄ってきた。その上、わたしの足元にスリスリしながら、怖ろしくかわいい声で「にゃあ」と鳴いた。それも上目遣いで。…わたしは完全にノックアウト。早急にエサを飼いに走り、3人に与えた。
 翌日その顛末をNに話した。犬だいすきで、すきが故に、犬の骨格から内臓の位置、犬種による性格のちがいなど、犬に関しての膨大な情報をその懐に抱えるNであるが、彼女もマンション内の親子ねこに軽くやられており、わたしの話を聞きながら、そのスリスリねこに会いたいと洩らしていた。
 しばらくたったある日。Nが件のスリスリねこに遭遇する事になった。更に幸運だったのが、スリスリねこをおもしろがって追跡していくうちに、のらねこたちに毎日毎日ご飯をあげているNSさんに出会うことになったのだ。このNSさん、ねこたちにご飯をあげるのみならず、「地域ねこ」のボランティアにも協力しており、のらねこたちの避妊・去勢、通院、揚句、ご自宅で2人ひきとったとのこと。NSさんと出会うことで、わたしとNの近所の「家なきねこたち」へ注ぐ視線が、大きく変化したことは間違いない。
 それからというもの、NSさんがねこたちにご飯をあげる時間帯に、わたしたちはそこへ通うようになった。そして、NSさんののらねこへの深い深い愛情を聞くうちに、わたしもNもとても自然に「力になりたい。ねこたちを守りたい」という思いを膨らませていった。「誰か一人でも、うちで保護したい」と思うようになるのには、それほど時間はかからなかった。
 我が家でねこを家族として迎えるに当たって、大きな問題が2つあった。一つは、先住犬であるmusicaがねこに対して、異常に興奮するということ。そして、もう一つは、わたしのねこアレルギー。その二つが、高まった「うちに迎えたい」熱に対して、大きなエネルギーでブレーキをかけていた。
 が。ある日、いつものようにねこたちに会いに行った帰り道に、「二つの問題」と「一つの命」を天秤にかけることが唐突にバカらしく感じてしまった。「命」の方が大事にきまってる、と絶対的に感じたのだ。こんな当たり前のことがなんで今までわからなかったのだろうか、とさえ感じた。「なんとかなるよ。ひとまず誰かをうちに迎えよう」と伝えた時、Nは大喜びした。NSさんに連絡をとり、とりあえず、スリスリねこを捕獲→検査入院してもらえるようお願いした。そして、10月13日、心の中でスキップしつつ(実際37歳のおばさんがスキップしてるとコワイ)病院に迎えに行き、晴れて、スリスリねこことcantoは、我が家の一員となった。








お題の通り

あちらこちらに無暗に広がってしまう自分の思いを、この場所に書き付けて、留めていく。「今」という時間に存在する、気分の動きや揺れを丁寧に表現し残していきたい。時間を経て、自らその記録たちを見返した時、わたしはどう感じるのか。それも楽しみだ。