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1.26.2009

とある死

 惨い状態だった。近くに散らばる血の痕からみると、出血の量はさほどでもなかったろう。頭蓋を躊躇なく砕かれた感じだった。左目が飛び出していた様子からそう想像できた。
 昨日出先からの帰り道に出会ったねこの亡骸。車にはねられたのだろう。車道のほぼ真ん中に横たわっていた。更に上からほかの車に乗られて、もっと惨い状態になってしまうのはどうしても避けたかったので、道の脇に移動してあげた。そして手持ちのハンカチを上からかぶせた。すぐに保健所に電話するも、業務時間内に連絡しろという非情な録音案内。最寄りの警察に電話し、「かわいそうだからなんとかしてくれ」と懇願する。ニンゲンの死体なら急いでくるだろうに、のらりくらりの対応にいささか腹立たしさを覚えた。くそ。命に差別はないと、誰もがオトナから言われて育っているはずなのに、いったいそんなことを誰が教えて誰が実践しているんだ、この国は。
 迷うことなく泣きながら、動かなくなっている子を撫でながら、口をついて出てきた言葉は「ごめんなさい」だった。Tonoが旅立った時と同じ言葉だった。あまりにも理不尽きわまりない「死」に直面すると、そこから救えなかった自らを責め、そしてその子に詫びることしかできないのだ。ごめんなさい。許してとは言わない。またねこに生まれてきたら、必ず我が家においで。いじわるな先住人(おもにCanto)はいるし、ご飯は固いものしかでてこないが、車にひかれるなんていう、怖くて痛い思いをしなくて済むはずだからね。
 憎むべきは、ひいたことを認識していながら、あの子を置き去りにしていったドライバー。死ねばいい。同じ目に遭って死ねばいい。すぐに死ねばいい。3秒後に死ねばいい。…とわたしが叫んでいたら、Nが「今すぐより、もっと生きたいと希望に満ちている時に死ねばよりいい。例えば、昇進が決まったとか結婚が決まったとかマイホームを買ったとか。自分の将来の希望に満ち溢れている時に死ねばいい」と助言してくれた。いやはや、なんてイヤなやつなんだ。どう育てばそういう悪意に満ちた発想ができるんだ。とは言えども、このNの考えに大いに賛成した。
 亡骸に向かって手を合わせる。涙を惜しみ無く流す。共にいた5人分の「思い」が、あなたに届いただろうか。わたしたち5人は、確実にあなたの「理不尽な死」を悲しんだ。そして、あなたの死を忘れないだろう。


【追記】
同じ場所にいた、Nと橋本学のこころの風景も合わせて読んでもらいたい

Nはこちら

橋本学はこちら

1.17.2009

1.16.2009

今朝

 しばらくぶりの友人からケータイに留守電が入っていた。メッセージを聞いたのは仕事が終わった夕方だった。Nの幼稚園時代の同級生の弟さんが亡くなったという知らせだった。亡くなったSくんはWと同い年だ。骨肉腫を患い、一年前から闘病していたそうだ。やり切れなくなった。お母さんの気持ちを想像すると、胸が張り裂けそうで、気が狂いそうになった。と同時に、不謹慎だが、Wは死んじゃだめだ!と激しくこころが叫んだ。そして、怖くなった。一刻も早くWの顔が見たくなり、涙を拭いながら、駆足で家路を急いだ。
 うちに着いたら、いつも通りWはわたしを陽気に迎えてくれた。思わず「W、死ぬな。絶対死ぬな」と本人に直接言ってしまった。Wは面食らったようだが、ぶっきらぼうに「夢叶えるまで死ねねーよ」と言った。実は数日前のWのMRI検査の日に、Wの病状が悪化してどうしようもなくなる…という悪夢をわたしは見てしまっていたのだ。
 死んでしまったら、当然、そこからいなくなってしまう。至極当たり前なことなのだが、ものすごく真に迫ってきて、限り無く現実味を帯びてしまい、抗い難い恐怖感に苛まれてしまう。いやだ。絶対Wは死なない。
 そして、ほぼ同時進行で、今生きてることの偉大さや素敵さをかみ締める。あなたがいること、わたしがいること、これは本当に奇跡なんだね。すごいことなんだね。この「感覚」を忘れないでいる。絶対に。


 たまたまおととい決まった今年の目標。本気で生きる。「生」って「死」のその瞬間のための『準備期間』だと去年確信した。将来に備えた保険とか貯金とかは苦手で、むしろ「できねー」と放棄してしまっているのだが。よりよく死ぬための楽しい生へのアイディアは果てしなくでてくる。迷わずどんどん進みたい。



 しんちゃん。あなたの黒目がちなキラキラ輝く瞳は、忘れられないよ。人見知りで恥ずかしがりやで照れ屋さんで、でもお姉ちゃんと一緒にだと思い切り走り回って、遊べたよね。苦しかったね。おつかれさま。またいつかどこかで会える日を楽しみにしているよ。