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12.31.2011

A full life in 2011

わたるの日本大会への準備から始まり、地震があり、日本大会で優勝し、世界大会の自主練付き添いでわたしの土曜の午前中のプライベートタイムは全てなくなり、こまきょうが来て里子に出、うぇんが来て居座り、世界大会で二番を獲得し、ハラカミさんが突然旅に出て、Susyに会い、もじゃが帰ってきて、ハハともじゃが結石になり、新しいプロジェクトに巻き込まれてびっくりするぐらい仕事を頑張り今なおがんばり中で、年末土壇場でこっからの自分の人生の在り方を左右するかもしれない選択をしなきゃならない事態になり、決め切れないまま31日になり、本日大晦日は15:30まで寝てしまった…。

そんな2011年。

最大級のツライと最大級のウレシイと、最大級のやりきれなさと。
個人的に降りかかる困難なんて、大したことないねと本気で思えたし、
日本政府には本気で絶望できて続行中だし、
だからこそ、自国への依存心をかなぐり捨てることができたし、
イコール、自国をなんとかしていきたいという気持ちにも決別できたし。

死はいつも自分の横にいるということが痛いほどわかった。
それを実感できることが、生きている証のように感じることもあった。

で、結論。
なんか、すごい、自由になれた。

来年?
どうしようかな。また、近所のねこの捕獲祭りしようかな。犬の預かりもしたいけど、これは慎重に検討しなきゃだ。福島のシェルターに訪れてみたい。海中哺乳類の保護活動にも興味あり。御蔵島に行きたい。Fresnoのあのねこのサンクチュアリも訪れてみたい。確かFloridaにある、大型ネコ科動物の保護施設も見てみたい。
ニンゲン以外の命に貢献できることを探しながら実行していければいいな、と思う。

10.31.2011

そういう時代

以前ここで上げた動画の再生回数が4000回突破というとんでもないことになっている。素人の趣味程度の動画で、なんのコネクションもなくこれだけの再生回数に到達するのはおそらく不可能。これにはワケが…

動画を作ったのは良いが、それをどうしようか?という話になり、Wと相談し、ハラカミさんが生前仲良くしていて、きっとハラカミさんのことが大好きだっただろうと思われる、タブラ奏者のU-zhaanに見てもらおう!ということになり、金曜の夜にメールを送った。そしたらば。即レスきた上に、ツイッター@u_zhaanで紹介してくれて、それがどんどんリツイートされていき…という経緯だったのだ。週末の三日間だけで4000回も再生された。ツイートを追いかけていくと、いろんな人たちのお褒めの言葉があちらこちらに存在していた。
なんだかとても不思議な心地。見ず知らずの、それもダンス関係者ではない人々がこの動画を見て感想を述べているのが伝わってくる…ツイッター、すごいわー。でもって、こわいわー。改めて、すごい時代になったんだなぁと痛感した次第。

調子に乗って、また作ろうよ!という話が出ている。近いうちに企画会議開かなきゃだね。踊ってもらいたいハラカミ曲は死ぬほどあるし。あ!あとU-zhaanの新譜でもやりたいね。

……て、その前に、W、オーディションとコンテストが控えてる。がんばれー!Wー!

10.30.2011

んで

もうpcの前にへばりついてるついでに昨日のWのコンテストの予選映像あげちゃう。

今日は家中のみんなが留守で(いや、ねこはいたよ、いぬもいたよ)もうなんかひたすらpc前でダラダラ過ごしていました。少し時代を違えて生まれていたなら、ひきこもりニートになれた自信あります!!






rest。よく頑張った!初めて自分たちで音も振付けもフォーメーションも全部全部作ったんだもんね。おばさん、あなたたちの成長しっぷりに涙ちょちょぎれます。

無事、予選通過!目指せ優勝!!!

バカ

三連発

nigahiga





victorvictorkim






そして極めつけ
d-trix




バカ過ぎる(笑)
このゲームなんなの???

命日

10月31日は、急遽我が家に迎え入れたtonoという白ねこの命日だ。明日で丸四年になる。

そもそもcantoに出会わなければ、このわたしが、かなり悪質なねこアレルギーを持っていたわたしが、うちでねこを養おうなんて発想はでてくることはなかった。cantoに出会って、cantoと自分のアレルギーを天秤にかけて、cantoが勝ってしまったんだよね。一生、アレルギーの薬を飲み続ける覚悟をした。にしても迎え入れた当初はきつかった覚えがある。そもそも、ねこを飼っているお宅にお邪魔するだけで、仮にそこにねこの姿はなくても、目はしょぼしょぼ鼻水ダラダラ、終いにはくしゃみが止まらなくなりそのお宅の方に謝られたりすることがよくあった。そのぐらいひどいアレルギーだった。なので、cantoがうちにやってきて、目はしょぼしょぼ鼻水ダラダラくしゃみ連発、プラス皮膚がかゆかゆの日常に突入したのだ。がしかし、数ヶ月経った頃、アレルギーの症状が緩和していることに気付いた。もしくは、気付いたらアレルギー症状が激減していた…と言った方が正しいか。とにかく、なんだかよくわかんないけど、きっと遺伝子レベルでねこを受け入れたに違いない!と、自分の身でもって「人体の不思議」を実感したのだった。

tonoはまだこねこだった。真っ白で額のほんの一部にグレーの毛があり、オッドアイの男の子だった。彼の辞書には「物怖じ」という言葉はなかったらしく、ねこにもニンゲンにも躊躇せず突進していくまるでねこらしからぬ性格で、でもとても愛らしい子だった。

うちにいたのはわずか1週間程度。具合が悪そうだったのを見兼ねて、毎日ご飯をあげてくれていたNさんが病院に連れて行ってくれて、入院する場所がなかったので困ってうちに「預かってくれないか」と連絡を入れてきたのだった。うちに来てからも具合は改善せず、再びわたしが病院に連れて行ったらいきなり「状況は厳しい」と入院させられてしまった。

tonoがなくなった時の絶望感やら虚無感やら、未だに覚えている。亡骸を病院に迎えに行ったときのあの辛い気持ちは絶対に忘れられない。

その時わたしは、全ニンゲンを恨むことができた。tonoをこんなにもかわいそうな目に遭わせたのは、全てのニンゲンのせいだと信じて止まなかった。この世に存在する全てのニンゲンが、ほんの少しずつでも他の命に思いやりを持っていたならば、きっとtonoをこんなに惨い目にあわせなくて済んだのかもしれないと思うと、道ですれ違う全てのニンゲンを殴り倒したい衝動に駆られて仕方がなかった。全員が悪い、だからtonoは死んだ…と思った。

今。さすがに、道ですれ違う全てのニンゲンを殴りたいとは思わなくなったが、ある特定のニンゲンを除く他のニンゲンには全く興味がなくなった。それは友達であっても。親戚であっても。興味がなくなった…というのは具体的には、その人が困っていようが苦しんでいようが全く共感や同情をしなくなったこと。だって関係ないんだもんわたしには。そうなったら、なんとも人生がラクになった。ねことかいぬとか、ニンゲンに虐げられる命に献身できるからね。ニンゲンがどんなに不幸でも、たとえそれが知人であってもわたしは知らない。関係ない。でも、近くで動けなくなったねこをみつけたらすぐに病院に連れて行っちゃう…躊躇なくそういう行動を取れるようになった。ラクだ。

無責任?ヒトによってはそう受け止めるだろうけど、だいたい誰かや何かに責任押し付けて自分は高見の見物ってどうなのよ??て思う。責任って誰かに押し付けるものじゃなくてさ、自ら背負うものなんじゃないのかな。いい年過ぎたオトナたちがそんな自覚もなく他の命への感謝もなく生きているのを見るにつけ、本気でニンゲンと関わらないで生きていくぞと決意を新たにするのだ。

tonoが教えてくれたことは間違っていないと、4年が過ぎて改めて思う。

にしても、tonoが死んじゃったからうちのねこはこんなに増えたんだよー。あのばかねこめ!とはN談。まぁそれも事実。あの時目の前にいる子を全部うちに入れちゃったんだからね。だって死なれたくなかったんだもん。里親探そうとかも考えたことなかったしね。仮に見つかっても、その人のこと信用できなかったろうし。犬猫屋敷さんがよく、犬猫飼いのことを「イっちゃってる人々」と形容しているのだけど、わたしも時々自分のことをそう思う時があるようなないようなないようなあるような。うーーん。だとしても、わたしがいっちゃった人々になってしまったのはtonoのせいよね。そうだ。tonoに責任押し付けてしまえ。えいっ。

10.28.2011

動物愛護法に関するパブコメ結果

なんだかものすごいことになっています。

 詳しくはここ経由のこちらを参照(丸投げ)

業界の組織票に戦々恐々としていましたが、なんのことはない、彼らには命を守るという固い決意はないわけだから、仮にボスからノルマを言い渡されたところでそこに忠実に従う義務はないわけで、つまるところ、決意がないから提出に至るわけがないのよ。

それに引き換え我々は、なんの利害関係やしがらみもなく、ただ「不幸な犬猫をこれ以上増やすわけにはいかんのよ!」というそこだけに焦点を絞って、ばかみたいにひたむきにがんばったわけよ。そういうわけなのよ。

この一報を会社のネットで知ったのだけど、涙こぼれました。なんか、こう、ニンゲンって捨てたもんじゃないねと久々に素直にジーンときてしまいました。

殺処分ゼロ。

それが達成できたらば、わたしはもう少し他のニンゲンにも優しくなれるかなー。なれたらいいなー。きっとなれるよなー。でもあんまり他のニンゲンに興味ないんだよなー。だから別に優しくならなくてもいいや。

10.25.2011

日曜日発表会でのパフォーマンス

毎週通っている支店のチームです。リハを見た選抜チームの方のコーチが
「W、おかしかったですよー。まるで“体操のお兄さん”のように“ダンスのお兄さん”を勤めてましたよー。」と。

なんのこっちゃピンとこなかったのですが、本番を見て納得。
確かに。ダンスのお兄さんですな。
いやしかし、何度でもくどいほど言っちゃうけど、Wおっきくなったわ。







だって、4年前こんなだったんだよ(笑)






同時に再生するとなかなかオツです。 …なんていうか、同じニンゲンとは思えないのがおもしろポイントです。