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8.16.2009

消えた灯

 8/14の15:40~17:30の間に、クラタは息を引き取りました。
 保護したものの、伝染性の病気が気懸りで自分のうちに入れることを躊躇して、いつも困った時に頼ってしまうH氏に預かってもらっていました。
 獣医さんから処方されたお薬と共に、最初は缶詰ご飯を必至の形相で食べていたクラタ。わたしたちが顔をのぞかせると、力いっぱいシャーシャーと威嚇してくれていました。預かってもらったその日の夜は、「クークー…」と、切なく悲しげな声で断続的に鳴いていたのも印象的でした。
 翌々日には、固形のご飯がもう上手く食べられなくなりました。うちからネコ用のミルクを持ってきて、錠剤の薬を全部粉々に砕いて、溶かして、ミルクに混ぜて飲ませるようにしました。わたしが顔をのぞかせても、シャー、と元気よく威嚇することもなくなってしまいました。瞳孔の開閉が鈍くなり、開いている眼差しが虚ろになり、もう恐らく見えてないんじゃないか…と容易に想像することができました。
 14日の昼過ぎ、ミルクをあげにH氏宅に。朝のH氏からのメールで、「昨夜一度、白目を向いたので、ああ、もうダメかなと思ったけど、持ち堪えた」との旨を聞かされていたので、H氏不在のH氏宅に向かう足取りは非常に重く、動かなくなっているクラタをあらかじめイメージしながら(そうしないと、いざ対面した時に発狂しそうだったから)、H氏宅に入りました。…あぁ。まだ息してる。よかった。クラタ、ミルク飲もうぜ!!!!
 ミルクを用意して、注射器でクラタの口へ運びます。そうすると、クラタは懸命にそれを飲もうと口を動かしてくれました。その健気な動作を見ていると、安直に【安楽死】を考えていた自分が恥ずかしくなりました。ミルクをあげながら、溢れる涙。口をついてでてくる言葉「ごめんなさい」。
 しばらく傍らにいて、H氏宅をあとにしたのが15:40。「クラタ、待っててね」と言い残して。
 17:30。H氏から電話。その瞬間に、クラタの死を認知。涙声のH氏。お花を買って、迎えに行く旨を伝えて電話を切りました。
 実は、H氏からの電話の直前まで、Nと二人でクラタをどうしようかあれこれ話し合っていました。いつも頼っているボランティアのHさんから「安楽死だけはやめてあげて」との助言をもらい、どんなにお金がかかっても、最善の医療行為を施してあげて、クラタ自身が自分で死ぬことをさせてあげよう、と結論付けていたばかりでした。信頼している獣医さんにしばらく入院させるという決断もついて、さあ連れて行こうと思っていた矢先でした。
 亡くなったクラタの顔は、想像してたものより穏やかで、なんだか救われた気持ちになりました。半眼半口、ってこんなかなーと…。まだ息をしていた時は、舌がずっと出ている状態で、口を開けて呼吸していたのですが、その口もきれいに閉じて、舌も口の中に納まっていました。
 誰もいない部屋の中で、そっと旅立ったクラタ。きっと、ニンゲンなんかが見てる目の前で、その瞬間を迎えたくなかったんだろうねー、ノラとしての意地とかプライドがそうさせたんだねー、とNと話しました。

 15日、昨日、火葬を終えて骨を我が家に連れて帰ってきました。やつはこの辺を徘徊していたので、ちょっとずつこの界隈にその骨をまいていこうかと画策中。実は我が家にいる「ハハ」はクラタの母でもあります。二年前わたしが住むマンションでこのハハが子育てをしていました。かわいいねー、とNと見つめていた子ネコたちの中に、実はクラタがいました。
 
 ひと月ほど前に買ったNのネットブック。買ってすぐにデスクトップに置かれた写真は、まだ子ネコ時代の、うちのマンションでお母さんの庇護下にいた、クラタの写真でした。Nがこの写真を、無造作に無意識にたまたまデスクトップに置いたのは、単なる偶然ではないんだろうなぁと今つくづく思います。わたしたちがクラタを呼んだのか、もしくは、クラタがここに還ってきたのか。
   

8.13.2009

死に逝く子




 現在わたしの傍らに、間もなくその時を迎えようとしている子がいます。8/11の夜、ひょんなことからうちの近所で保護。その時点で、全く自分で動くことができない状態でした。涙ながらに動物病院に電話。時間外にもかかわらず、快く診察をひきうけてくれた獣医さんに感謝。
 こんなにも衰弱して動けなくなった原因はともかく、この子が元気になってノラとして再び外をかけめぐることのできる可能性の低さを知りました。【安楽死】という選択肢がいとも簡単に脳裏に浮かぶのですが、Nは「自分で死ぬということをさせてあげよう」と。
 保護して3日。日に日に痩せて、元気もなくなっていくクラタ(行きがかり上そう命名)。命の炎が、少しずつ少しずつ消えていく様を、横で見守るという作業は、今まで経験した中でも最大限の精神的消耗を強いられることとなりました。
 トーノが亡くなった時、その瞬間そばにいられなかったことを悔やみまくりました。が。こうして、旅立ちに向かうのを見続けるのも、苦しいですね。
 

 命は、終わったら、どこへ行くのですか?誰かわたしに教えてください。お願いします。

8.11.2009

喪失

一番、失いたくないものは、なんですか。

その「失いたくないもの」へ執着することは、いけないことではないですよね。

失って初めて気付けること、ということもあるのですが、

一生そんなことに気付けなくてもいいから

失いたくないものが、あります。

失わなくて済むなら、悪魔に魂を売ってもいいくらい。


尊い光が、一つ、目の前から消えました。

この現実を、受け止めるには

まだまだ、わたしは、弱くて浅はかで至らな過ぎ。

自分というニンゲンの卑小さを

痛いほど思い知らされるだけです。


ただ、待っててくれて、ありがとう…

と伝えたいです。


ありがとう。