ページ

6.26.2010

Wのチームです

赤い人たちは、夏に世界に行くジュニアの面々。黄色い人たちは、今回負けちゃったけど、来年がんばっちゃうぞーーの面々(W含む)。先週、川崎のクラブチッタでイベントに出演しました。そのための練習風景です。チッタでのパフォーマンス、なかなかよかったです。


6.23.2010

5/16(日)@club HAZARD Tokyo Dance Collection

あーーーー。やっと、アップできたーーー。うれしーーーー。 リカバったから、デジカメ付属の動画リサイズソフトが消えてなくなり、CD-R探したけど、どこへいったやら…。インターネットでリサイズのフリーソフト探してダウンロードしたり、でもいまいちなんか、わたしが非常に馬鹿のようで、使い方がわからず、意味もなく変換したり、また他のソフトをインストールしたり…。で、半ば諦めていたのよね。あぁ、こんな低級な脳みそなんていらないとそこそこ悩んだのよね。今日ふとしたことから、動画をいじっていて、ネットであれこれ読んでたら、なんてことかしら、WINDOWS MOVIE MAKERでカットできるとーーー。ていうか、それ、この間試したけど、わたしが非常に馬鹿のようで、うっちゃってたのよね。でも、落ち着いてやったら、いとも簡単にあれよあれよという間にできました。WINDOWSさん、ありがとう。最近、Wの影響でMac欲しい熱が酷いことになっているのをちょっとだけ反省。





怒涛の、コンテスト・バトル月間だった5月が終わりました。毎週、どっかで、Wは戦っていました。結果はでなかったけど、とてもとても勉強になったね。勝つのは、本当に難しい。だからこそ、挑戦し甲斐があるというもの。これに懲りず、W、益々挑んでゆきます。

歓声がやたら多かったのは、突然Wが超人気ダンサーになったからではなく、元チームメイトのAちゃんが所属するチームも参加していたため。顔見知りはAちゃんだけにもかかわらず、チームの他の子たちも声援本当にありがとうございました!うれしかったのよーーー。

6.09.2010

で、




これは、ありふれているけど、わたしにとって、幸せという名の迷惑な光景。

お願い。ベッド返して。おばさんもう眠い。

ありふれている

死。みんなは目撃せずに済んでいるだけ?それとも、目をそらしているだけ?

今日また、Nがこねこの亡骸を拾ってきた。むじかの散歩の途中、ねこの頭だけが見えて「ああ、死んでいるんだな」とすぐわかったそうだ。らっかを保護した時より少し小さいくらいだったと。やつが保護された時、900グラムしかなかったからな。生後、2・3か月というところか。ぷくぷくして丸かった、お腹がぱんぱんでお母さんからいっぱいおっぱいもらったんだなきっと、雨が降っていたからかわいそうで着ていた服で包んで連れて帰った、うんちがもれていたからもう自分で自分の体をコントロールできなくなってそこに横たわって虹の橋に向かったんだな…Nが淡々と説明してくれた。
市役所に電話をして引き取りをお願いする。

昨日までは、動いていた【命】。おそらく、ニンゲンによって奪われた【命】。もう、どういう感情で死体に向き合えばいいのか、N自身もわからなくなっているだろう。怒りも悲しみも湧いてはこない。死は、すぐそこにある。その現実を受け止めるだけで精一杯だ。

わたしは、Nを間違いなく育てた自信が大いにある。どこに、ねこの亡骸を、かわいそうだからと連れて帰ってくる女子高生がいるだろうか。彼女の感性や感覚は、一切間違っていない。ただし、間違っていないからこそ、今後、このニンゲン様が横柄に無頓着に存在する世界では、生きていくのが非常に苦しく感じることがたくさん待ち受けているだろう。そう思うと、テキトーに毎日をおもしろおかしく過ごし、親に文句ばっかり言って、興味の対象はファッションと男の子…みたいなお気楽な女子高生に育てられなかったことを親として反省したりする。

わたしは亡くなったその子には会えなかった。

Nにみつけてもらえて、よかったね。今度またねこに生まれてきたなら、うちにおいで。

付け加えて、近所に気になる外ねこが増えている。なんで増えるの?誰が放置していくの?再び、避妊去勢のために動かなきゃなんないかな。これまた、この行動そのものが悲しみを伴うんだよな。つらいな。でも、無駄に奪い去られる【命】を見るのも、つらいな。勝手だな、わたし。

6.05.2010

先日

40歳に到達した。19歳の時に漠然と、「あー40歳くらいでフィジーで死にたいな」と希望していたのだが、その希望とはかけ離れた生活を、今、シコシコと営んでいる。とりあえず、こども産んじゃったから、やつらがわたしの手元を飛び立つまでは、死ねないな。もひとつ。今、養っているネコ様たちを全員もれなく看取ってからじゃないと、死ねないな。現世に執着する生き方は、わたしとしてはカッコ悪く映り、自らのポリシー的なものにもそぐわないのだが、如何ともし難い。抱えるものが増えると、執着自体も増えるのね。当たり前のことなのね。今さらだけど。

この間ふと、近頃わたしは徹底して、ニンゲンを見下して軽蔑して生活しているなーと自覚した。辛うじて「お母さん」と呼ばれる人々はニンゲンとして存在してよろしい、とか勝手にルールを決めたり。一番、軽蔑しているのは、「センセー」と呼ばれる職業のニンゲン。先生、ね。「先に生きる」と書いて「センセー」ね。センセーと呼ばれるヒトビトの偉そう率、めちゃくちゃ高くないか?あ、偉そうなニンゲンも勘弁してもらいたい。殺人が合法化されたならば、ひとまず「偉そう」な方々を銃殺してまわりたいぐらい。…「センセーと呼ばれる」→「本人、勘違い」→「偉そう化」…というフローなのだろうか。あとは、基本的に「オトコ」という性別のニンゲンは、いやだ。随分前に、何故いやか…を記したのだが、そこからあまりその考えは変化していない。オトコって概して、偉そうじゃね?と、やっぱり行きつく「偉そう嫌悪」。なんだ。わたしは「偉そうなニンゲン」がいやなんだ、あーそうなんだ、基準点はここなんだ、と今気付いた。

翻って、じゃあ、わたしには一切「尊敬できるニンゲン」がいないのか、というとそうではない。このヒトわたしのお手本!と思えるヒトビトが、5人いる。たった今数えた。1人以外は、犬猫保護活動者。保護活動者でないヒトも、環境保護系のNPOを設立し且つ、環境専門人材会社の社長を務めている。このヒトビトに共通して言えるのが、ニンゲン以外の「命」を本気で守ろうとしているということ。そしてもちろん、偉そうではない。が、偉そうなニンゲンを目の前にした時の、このヒトビトの偉そうっぷりはただ事ではないと思うが…。実際目の当たりにしたこともあるし。要するに、ことヒトビトの「偉そう」は、他の命を守るためのものなのだ。わたしが、前掲した「偉そう」な方々は、必死で自らのみを守ろうとする人たちだ。どえらい違いだ。果たして、「偉そうなニンゲン」が守りたいものって具体的にはなんなの?お金?土地?地位?名誉?安定した生活?そこを教えてもらいたいと本気で思ったりもする。でも、教えてもらったところで、「けっ」と思うのが関の山かな。

銃殺したい「偉そうなニンゲン」。そして、人生のお手本にしたい「尊敬するニンゲン」。じゃあ、その他の偉そうにも尊敬にも当てはまらないニンゲンに対しての感情はどうなのかというと、正直申せば、「銃殺」カテゴリーに、最近入ってしまう。どんなに身近なトモダチとかでもだ。恐らく、トーノが死んでしまった時に、この思いの種が植えられたように思う。ただ、自分自身が病と闘っており、ひとまず自らの命と真摯に向き合わなければならない…という状況下に置かれているニンゲンはもちろん省く。

結局のところ、わたしたちニンゲンが、他の命の犠牲の上に成立していることを自覚していないやつらが許せないのだ。きっと。自覚していても、見て見ぬ振りを決め込んでいるやつらとか。殺処分される犬猫のことをテレビや雑誌で見て「かわいそー」とか言いながら、ペットショップの犬猫見て「かわいーー」と平気でほざけるやつら。わたしらにしてみれば、ペットショップの犬猫でさえ「かわいそー」の範疇だ。己の矛盾に気付けバカ、とつくづく思う。そしたらば、必ず、誰にでも、他の命を守るためにできることがあるのだ。絶対に。どんな些細なことでもよいのだ。洗剤を生分解するものに変えるだけでも、極力肉食をやめるだけでも、地域の犬猫保護センターを見学に行くも好し、信頼できる犬猫保護ボランティア団体やら他の環境系ボランティア団体に寄付をすることを継続するとか、いくらでもやれることはあるのだ。

一番最初に話した、執着のこと。きっとイコール、そのヒトが守りたいものということにはならないか。ニンゲンは執着があるからこそ、これだけの文明を築けたのでは。知性や理性に基づく執着、とでも言おうか。「偉そうカテのニンゲン」、「尊敬カテのニンゲン」、「偉そうが特化されていないその他の見下しているカテのニンゲン」とわたしの中で全ニンゲンの評価が3つに分けられてしまうのだが、それぞれの執着しているもの=必死で守っているもの、がきっときれいに3分割になりそうで興味が湧く。

Wが間もなく定期テストでそれに向けて社会の勉強をしている時。「選挙にいかない理由が【自分一人が投票したところで何も変わらないから】だってー。うけるー。正直にめんどくさいからって言えよ」と言っているのをNが聞いて、すかさず、「じゃあ死ねばいいのにね、そいつ。自分がいてもいなくてもいいって自分で認めてることになるじゃん。死ねばいいのにね」と口を挟んだ。…確かに。ニンゲンが一人、この地球上からいなくなることが、どれだけエコか。Nは「あなたが死ねば、変えられるよ(笑)」と笑顔で付け加えた。なんとも相変わらず、過激な17歳である。