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9.14.2009

とにかくすごかったのさ…

 せっかくWのお供で渡米し、HIPHOP DANCE CHAMPIONSHIPを目の当たりにしたにもかかわらず、ここでそれに触れられなかったのには、大いに訳があるわけで。
 まず、渡米10日ほど前。taceが尿結石になった。トイレにいったりきたり、入ったり出たりしているのを目撃し、急遽病院へ連れて行き判明。薬をもらい治療最中に、結構な量の血尿をし、パニクって大慌てで夜間診療で無理行ってちょっとばかし遠方の病院で診察をしてもらうが、膀胱の中がすっからかん(尿がない!)で、尿検査さえできずに、なにもしてもらえず、ただ先生に励ましてもらい帰宅する。渡米前のいたーーーい出費。
 そして渡米3日前。朝、出勤前にネコたちにご飯をあげていたら、notaが激しくくしゃみをしていた。どうしたのかなー、という軽い気持ちでいた。ついでに、taceが、普段ほとんど鳴かないくせに、一人大絶叫していた。結石のこともあって甘えんぼさんになっちゃったのかなー、とこれまた軽く流した。だが、若干の胸騒ぎがしたので、まだ眠っているNに「要観察」の旨メールをして会社へ向かった。Nはその日、世界大会用の髪型造りのためのWにお供して、とおーーーい所の美容院に行く予定になっていた。
 夕方、会社から出てきてケータイを見てびっくり!Nからただならぬ量のメールが届いていた。なんと!我が家のネコたち7人全員が、様子がおかしく具合悪そうで、非常事態なのよーーーーー!!!!というメールであった。とにかく、連れていけるだけのネコを病院に連れていくことにする。が、なにせ、みんなで7人。そんでもって、連れて行くためには捕獲せねばならないのだが、捕まえられるかどうか甚だ疑問な子がほとんど。状態の悪そうな子を優先して、頑張って捕まえて連れて行こう、と。いろいろ体に問題のあるスベさんがまず決定。この子は渡米中入院させる予定でいたので、そのままもう病院に泊まらせてもらうことにする。そして、一番ぐったりしていたnota。この子の捕獲は比較的ラクなのだが、果たして病院で先生を攻撃したりしないかが問題だったのだが、いや、これは連れて行かないとまずいでしょーなくらい衰弱していた。それから、結石中のtace。朝、この子が絶叫していたのにはワケがあったんだね…かーさんわかんなくてごめんよ…こいつも結石が心配で渡米入院を予定していたので、このまま病院にお泊り決定。あと、もう一人くらい…。比較的症状が軽症なcanto。こいつを他3人の代表として診てもらおう、ということで搬送メンバー決定。
 かくして、一気に4人のネコを病院に連れていくという暴挙を遂行するに至ったのだった。あぁ…快く診察を承諾してくださったいぶき動物病院の吉澤先生。本当にありがとうございます。
 診察の結果、風邪ということ。notaは予想通りかなり状態が悪く、インターフェロンと解熱剤を注射。taceも熱が高くインターフェロンを注射。cantoは比較的軽かったので痛いことはせず診察のみ。一人ずつ丁寧に診察してくださる先生が仏様のように見えた。
 居残り組みの分のお薬も処方していただき、入院組のスベさんとtaceを残して、帰途につく。
 ていうか、このネコの大搬送に惜しみなく協力してくれたH氏。あなたもある意味我々にとって神だよ(笑)。なぜあのタイミングで、仕事がなかったのよ。本当に感謝。
 翌々日。celeの具合が芳しくないというNからの連絡を受け、会社帰りに病院へ連れて行く。こいつはさーほんと厄介なんだよなー。だってさーマジで攻撃してくるからさー。でも、そんなことは言ってられないワケで、Nが死闘の末捕獲してくれ、これまた無理言って近所の獣医さんに時間外診察をしてもらう。そして、インターフェロンを注射。「ただの風邪なんだから、そんなにパニくらないの」とそこの先生には優しくなだめられたのだった。
 そんなこんなで、我が家のネコども全員病持ちとなり、はぁ……アメリカなんて行ってられるのかな…やっぱり残していけないよな…やっぱり残るとしたらわたしだよな…もうやってらんないよ…ばか…なんでこんなにネコなんか保護したし…ばか…わたしのばか…と、まあ、全世界を恨むに至った(笑)
 Nはと言えば、全員が風邪をひいたとわかった瞬間に自分が日本に残ることを決意したらしいのだが、celeを診察してもらった時に先生からかけもらった「ただの風邪なんだから…」という言葉にえらい勇気づけられたようで、「大丈夫!帰ってきてみんな死んでるなんてことはないよ!」と晴々した顔で、準備を始めていたのだった。
 準備というのは、わたしたちが留守の間の薬やご飯の小分け。小さなカップを大量に買い込んできて、黙々とそこにご飯と薬を分け入れて、日付を振っていた。というのも、ありがたいことに、留守中ネコたちの様子を毎日覗きに来てくれる人がみつかったのだ。近所のMちゃんと、ネコ仲間のNSさん。その人々が、迷わずご飯を与えられるようにという算段なのだった。
 
 7/29。わたしたちが、すこしばかり後ろ髪引かれながらも、安心してアメリカに旅立てたのは、獣医さん、Mちゃん、NSさん、そしてH氏のお陰に他ならない。本当に本当に心からありがとう!



 滞米中の諸々は後に記すとしてここではおもいくそ端折る。


 8/5。無事帰国。ネコたちはみんな生きていた。よかった。まだまだ全快とまではいかないが、出国時よりは元気になっていた。だが、スベさんだけはそうはいかなかった。風邪による結膜炎が悪化していた。どうやら角膜炎を起こしているようだ。かわいそうに…。もしかしたら目が見えなくなっちゃうかも、という最悪の診断まで下った。また手術?もうこの子にそんなしんどい思いをさせたくない。taceをお迎えの時に、スベさんは一緒には帰ってこれなかった。
 その翌日。Wのチームメイトの一人が、インフルエンザA型に感染していることが判明!ひえー!滞在中仲良くしていた、日本の他チームの子が、そういえば帰国時に高熱が出てウンウンうなされていたのだ。急いで、会社に報告したら、一週間出勤を見合わせてくださいとのこと。仕方ないか。結局、我が家は皆感染していなかったのだけど、Wのチームメイトは3人、他チームの子は10人感染していた。このインフルエンザ騒動のことをネコ仲間NSさんに話したら、「それは、ネコが全部かぶってくれたのよー」と言っていた。そうなのか。ネコたちはわたしたちの犠牲になってくれたのか。でもそうとしか思えなかった。
 ともかく、長い夏休みが突然舞い込んできて、内心ホクホクしていたのも束の間。8/7の昼過ぎに、腰から背中に鈍痛を感じた。長旅の疲れが腰にきたか、はたまた、滞在中の暴食がたたってわたしが増量したせいか、と湿布を貼りながら「整体行って来ようかな」なんて考えてる間に、ドンドンドンドン痛みが増してきた。あまりにも痛いので、家事一切を放棄して早めに寝る。が、寝ている最中も痛い。痛くて目が覚める。次の日はWがイベントで踊ることになっていたので、病院にも行けず、イベントへ。が、ずっと痛い。何をしていても痛い。立っていても座っていても、痛い。間断なく痛みが襲ってくる。なんなのよーこれはー!?と思いながらも、痛い。湿布もきかない。イベントから帰ってきて整体に向かうが生憎の休診…。泣けた。夜に向かって、痛みは絶好調!背面だけでなく、みぞおち辺りにも痛みを感じるようになってきた。「これ、ただの腰痛じゃないかも」と不安になる。痛すぎて寝ることもできないので、救急外来へ向かう。
 救急外来が込んでいて、待っている時間がとても辛かった。痛みを堪えるために無駄にウロウロしていた。そうでもしないと、叫びそうだったから。そのくらい痛かった。
 診察。一通りの問診、聴診、触診。血液検査。レントゲン。そして、CTを撮る。それも造影して。この病院Wが目一杯お世話になって、わたしの中では好感度ナンバー1の病院なんだが、にしても、救急外来でCTまで撮ってくれるのか!と感動したかったのだが、あまりの痛さにそんな余裕も出なかった。点滴をしながら、検査結果が出るのを待つ。もう夜中になっているので、正直眠いのだが、痛くて痛くて痛くて、全く眠れない。おまけに点滴につながっているので、好き勝手にウロウロもできない。辛かった…。
 検査の結果、なんということ、どこを探しても炎症反応がでていないとのこと。即ち、「痛み」の原因が特定できない。従って、痛みを取り除くための処置も処方もできない。えーーーーーまじでーーーーー(涙)。ということで、バファリンレベルの気休めの痛み止めだけが処方され、うちに帰ることになった。
 翌9日。この日もWはイベントで踊る予定になっていた。が、無理。痛くて行けない。痛み止めは全く役に立たず。みぞおち辺りの痛みが増しているように感じたので、薬局に胃薬を買いに行き飲むが、効果は無し。引き続き、痛くて痛くて痛くて痛くて、もーーー!わたし、痛いのに飽きましたーーーー!!!!と何度か発狂する。が、虚しいかな、痛みは治まってはくれなかった。色んな汗をかいて、体がべたべたして気持ち悪かったのでシャワーを浴びると、意外にも、痛みが和らいだ。それも、温度を45℃という強烈に熱く設定した方が心地よいのだ。夏のくそ暑い日にも関わらずだ。にしても、シャワーをかぶっている間のみしか痛みは緩和せず、ベッドの上で痛みと格闘し続けた。夜がきて、それでも治まる気配はない。半泣きになりながら、病院に電話して、またしても救急外来のお世話になることに。でも、結局、なにもしてもらえず。ただ、慰めてもらうのみ(笑)。この日も痛み止めを処方してもらい、そして、「ちょっと眠りたいでしょう」という先生の計らいで、睡眠薬を処方してもらう。
 なぜかわからないが、あんなにも激しくまとわりついていた痛みが、うちに帰るタクシーの中で少し軽くなっているような気がした。呼吸がラクにできる。タクシーの中で、ウトウトしたくらいだ。うちに着いて、痛み止めと睡眠薬を飲んだ。もう、日付は10日(月)になっていた。翌日張り切って、通常の外来に行った。再度血液検査をし、CTをもう一度撮るも、やはり原因はわからず。診察、検査を終える頃には、ほとんど痛みはなくなっていた。…結局、原因不明で、先生も首を傾げながら、この激痛騒動は終了した。
 その日の夕方。Wのチームメイトの母様が亡くなられたという訃報が入る。12(水)、母様のお通夜に参列した。
 その母様の訃報が入った時に、わたしは、なんだか自分の体の原因不明の激痛に、合点がいった。オカルティックに捉えるのではなくて、ただ単純に、「生命」が生まれたり消えたりする時には、膨大なエネルギーの動きがあるはずで、そのエネルギーの動きや波長に、わたしの肉体のアンテナが反応して感じ取ったのかな、と。母様が亡くなられた時間と、わたしの継続した痛みが和らいだ時間がほぼ合致するのだ。

 痛みから解放されてからのドタバタは、先に記した、クラタ騒動である。クラタが終わって、ようやく会社に行けたら、連日の残業祭り。まあ。次から次へと、よくもまあこういろいろと起こるもんだ。でも、この約一ヶ月の間のてんやわんやの中で、わたしは改めて、「感謝する」するということを教わった。そもそも「感謝」できる対象があるということだけでも、幸せなのだなぁと噛み締めざるをえない。わたしがわたしでいられることに、感謝。そしてそれは、わたしの周りに【ある】様々な存在のお陰である。
 
 また一歩、前に進むことができた。