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10.18.2008

その後、W②

 翌日から確実に、仕事→病院→うち、という怒涛の日々が始まった。
 Wの熱は点滴治療のお陰で翌々日にはかなり下がっていた。しかしまだまだ点滴は続く。ある程度熱が下がったWは今度は退屈と戦わねばならなかった。もちろんこのわたしも。この期に及んでも、テレビ嫌いは健在で絶対テレビは見せたくなく、ならばとポータブルのDVDプレイヤーを購入、DVDも何本か手に入れた。そして、マンガ。最近(わたしが)はまっているギャグマンガをずらりとオトナ買い。でもないか。何度かに分けて買った。だって持っていくの重いから。結局13巻まで揃えた。でもって何故かコンプリートしていない不思議。あと数冊なのにな。
 熱が下がって身体状態が落ち着いてくると、わたし自身にあれこれ欲がでてきてしまった。「いつダンスに復活できるのか」…。10月から11月にかけては、彼の所属するチームはイベントラッシュなのだった。4月から着々とレッスンを積んできて、ようやくたくさん人前で披露できる!という矢先の病気だったのだ。ただし、そんなことは先生には絶対尋ねられなかった。とにかく治ってもらいたいという基本的な希望からは、非常にかけ離れた浅ましい醜い思いのような気がして、そんなことを思ってしまう自分がイヤでイヤで仕方なかった。Wはここでもひたすらマイペースで、「焦ってもしょうーがねーじゃん」くらいのことを彼に言われた。自分の度量の狭さにほとほと嫌気がさした。
 とても不思議なのが、入院していた約2週間のことをわたし自身あまり記憶に留めていないということだ。点滴が外れた日のこと、苦しい検査があった日のこと、そういう特別な日のことは覚えているのだが。毎日、朝起きて仕事に行って、早めに切り上げて病院に向かって、消灯時間とともにうちに向かいつつ買い物をして、帰宅して夕飯食べながら洗濯して、風呂入って寝る→朝起きて…の繰り返しを永遠に続けていただけのような気がする。もちろん、その繰り返しの中でも、元気のある日もあったしない日もあった。励ますのに疲れた日もあった。Wと一緒に泣いた日もあった。病院から乗るバスの中ではいつも涙が溢れて仕方がなかった。そんな「気持ち」の大きな変動が存在したにも関わらず、具体的には思い出せないのだ。ただし、一つ。Wが入院してから、再び現れた大きなわたしの宿題。

「生きるって、なに?」

 繰り返される日々の中で、これだけがズンズンと大きく立ちふさがっていたということは、しっかりと記憶に留まっている。

 CT検査、腎シンチグラフィ、膀胱造影、という滅多には受けられない検査の数々。そして三日に一度くらいペースの血液検査。その結果、Wの病気は「上部尿路感染症」の一部である「巣状細菌性腎炎」という診断が下った。
 

その後、W①

 9/18の夕方、40℃以上の高熱を出したWを連れて救急外来へ。高熱以外に際立った症状はなにもない。鼻も出ない咳もでない。喉も痛がらない。熱の高さの割りに意識がはっきりしており、食欲もそこそこあり水分も自ら摂れる。実を言うと、4年前の夏にも同じような高熱に見舞われたことがある。その時は近所の小児科へ行ったのだが、医者は首を傾げながら「きっと夏風邪の一種でしょうね」と診断、抗生剤を処方されてお終いだった。抗生剤が効いたのか、徐々に熱が下がり、きちんと回復に向かい、それはそれでわたしの記憶の中でも「お終い」になっていた。しかし再びその記憶が甦り、近所の医者では埒が明かないと瞬間的に感じ、救急ではあるが大きな信頼のおける病院へ連れていくことを決断した。問診、聴診、触診と一通り診察を受け、尿検査血液検査の必要性を医者に伝えられる。そして、早々に点滴に繋がれることに。「やっぱりただの風邪じゃないんだ」…4年前の高熱の際の釈然としない診断、その時と全く同じ症状で苦しむW、目の前にある事実と4年前の光景とが頭の中でぐちゃぐちゃに混ざり合い、胸が潰されるようななんとも言えない不安な気持ちでいっぱいになった。
 点滴を受けながら体を冷やしながら、うなされるW。うなされながら思わず「母さん、オレ死なないよね」と。「殺さない。わたしが絶対殺すもんか」とわたし。しかし、(その時点ではまだ)原因の定かではない熱に侵されながら、うなされ、瞼を痙攣させ、時折笑みを浮かべたりするWの様子を凝視していると、本気で死んでしまうんじゃないか、と正直たまらなく怖かった。
 血液検査を元に、即入院を告げられる。腎臓での炎症が疑われるとのこと。先生は丁寧に優しくいろいろとわたしとWに説明してくれるのだが、頷きながらも、脳に全くそれらの説明が届いていっていないことがわかった。「どうして」とか「治るのか」とか、あまりにも感情的な思いばかりが占拠してしまっていたからだ。心理的にとても救われたのが、担当の先生(男・若い)がとても優しい先生で、熱で苦しむWの頭や頬を何度も何度も撫でてくれたこと。直接言葉にこそしなかったが「大丈夫だからね」とWに語りかけてくれているようで本当に安心できた。
 その場で腎臓をエコーで診る。翌日にCTを撮りもっと詳しく腎臓を診るということ、このまま点滴治療を続行する旨を伝えられた。そしてその後、入院の手続きをしてそのまま病室へ向かった。
 …ざっと18日の夕方からのことを振り返ってみたのだが、Wと救急外来に到着してわたしが病院をあとにするまで、実に6時間も経過していたのだった。

 病院までの足になってくれて、この6時間の間同じように不安な気持ちを抱きながらずっと待っていてくれたH氏。本当にありがとう。もっとも、帰り道、「よーし、なんか食って元気だそうぜ!」と走っている途中に見事にパンクしてしまったのは呆れてしまったが…今やそれさえただの『ネタ』になってしまうのは間違いなくあなたのお陰だ。