先日Nが16歳になったのだが、しばしば自分が10代の頃を懐かしんでみたりする。
いやー。恥ずかしいくらいとんがっていたな。うん。恥ずかしい。今のNの冷静さや論理的思考やらを、ちょいとばかしわけてもらいたいぐらい、感情のまま動いていた。勉強もした。バイトもした。恋もした。喧嘩(主に乱闘)もした。学校は辞めた。そして10代ではなかったが、大好きな友だちに死なれた。
今も当時とかわらないぐらい、世の中を斜に見てはいるのだが、その頃は「じゃあこう行動しよう」という脈絡のあるアクションがとれなくて、なかなかにはちゃめちゃだった。今思い出すと、もうなんだか自分のことながら、可哀相に…と憐れみの念さえ湧いてくる。
年齢を重ねて一番よかったなーと感じるのは「しょうがねーな」と諦められることが増えたことかもしれない。こうできることによって、心理的に非常にラクになれた。もちろん「しょうがねーな」と思えないことは山の如しで、おそらく世間的な38歳のおばさんたちと比べたら、怒りに満ち満ちた日々を送っているのだろう。につけても、楽チンになれて、10代の頃に比べれば毎日ウキウキな感じなのだ。そして「しょうがねーな」と思えない状況に遭遇した際に、暴力以外の方法で解決しようと努める丸さも賢さも、年齢と共に備わってくるのだ。歳を重ねるとは、ラクになれるということなのだな(曲解かな)。
更にこの2年ほどで、また新たにラクになれた。というのも、主に自分の「生」「死」の概念が刷新されたからだ。これには、ネコたちとの出会いが大いに影響している。もちろん、わたしが現在10代ではないからこそ、到達できたのだが。こんなにも日々を楽チンに過ごせるなんて、昔は予想もできなかったわけで、Nと同年齢だった頃の自分を、今思い切り労いたくなる。
今目の前にわたしのこどもとして存在するNを見るにつけ、「しんどいだろうなぁ」と思う。が、その「しんどさ」を取り除く術は、親と言えども持ち合わせておらず、あくまでもN自信に切り開いてもらうしかないのだ。だが、『大いなる怒り』の矛先は、わたしと同じ方向に照準が合っているようなので、もうしばらくの間はNのしんどいを少しは背負えるかもしれないかな。
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