久しぶりにパソに向かってキーボードを使って書いてみる。いつもは、ちょっとした空き時間に、ケータイに書き溜めている。そして、後からつなぎ合わせたり組み合わせたりする。
昨日は大変濃厚な一日を過ごした。昼過ぎから、サントリーホールで催された日本フィルのベートーベンを聴きに。その後場所を変え、新宿ピットインでイケメンテナーサックス橋爪亮督のリーダーバンドのライヴを聴きに。両者それぞれが物凄くて、圧倒された。
クラシックオーケストラを聴きに行くのは実に4年振りだった。普段、音楽を聴きに出入りしている場所は、JAZZの、それもとてもマニアックでアンダーグランドなライヴハウスばかりなので(事実地下に存在することが多い)、数年ぶりにホールで何百という聴衆の一人になっている、そのこと自体がなんだかウキウキする事柄だった。今年は年頭に「絶対オーケストラを聴きに行く」と目標を立てていたので、ひとまず、目標達成。達成に導いてくれたMちゃんに感謝。
わたしの後ろに座していた方(知らない人)がクラシック通のようで、休憩時間に披露してくれたクラシック豆知識には思わず「へえーーーー!そうなんですかーーー!」と大きくリアクションしたくなってしまった。が、見知らぬ人。グッとこらえた。「のだめカンタービレ」という漫画がおおはやりして、我が家にも、半分くらい文庫が揃っているのだけど、何故かわたしは読んでいない。あの人にもこの人にも「おもしろいよ」と言われるのだが、読んでいない。「漫画は『銀魂』しか読まない」とこころに決めているわけではないのだが、読んでいない(だって、両さんも読んでるし)。なので、いい機会だから、是非読んでみようと思った。
今更ながら、ベートーベンはすごいコンポーザーだなと感じた。こんな風に簡単に言葉にしてしまうのは、非常におこがましい気がするのだが。その楽曲たちには、「悲嘆」や「苦悩」の瞬間が大いにちりばめられているのだけど、最後には「希望」に達する。わけのわからない、不定愁訴的な、「悲嘆」に暮れているわたしの心身がかなり揺さぶられた。そして改めて、この偉人は、作曲する際には、脳内でフルオーケストラの音が鳴り響いていたのだろうな、と思った。でないと、あんなシンフォニーは作れない。以前ピアノを習い、ベートーベンのソナタを練習していた時にも同じことを感じた。「あ、このフレーズはきっとこの楽器が鳴っているのね」とオーケストラの音色を想像しながら練習をしたものだった。ピアノソナタで、へたくそなわたしが練習しながらイメージできるのだから、楽曲がいかに豊かかがわかる。ああ。やはり、半期に一度くらいは、薄暗い地下のライヴハウスではなくて、開放的なホールで音の塊に包まれないと…と思いつつ、その足で、薄暗い地下のライヴハウスへ。
これまた、約1年半振りの橋爪バンド。バンド全体のサウンドの「鳴り」の変化にとても驚いた。5人のアンサンブルによって生み出されてくる音の塊が、昼間聴いたオーケストラと遜色ないくらいに、色鮮やかで、わたしに迫ってきてかつ、心地よかった。5,6年程前に、この橋爪バンドで演奏するドラムの橋本学の音に撃墜され、それ以降彼の追っかけと化しているのだが、橋本学自身の「音」もえらく変化したなと感じた。より、しなやかに。そして、より自由に。橋本学が、橋爪亮督グループという大地を縦横無尽に楽しげに駆け回っているように映った。そして、不思議なことに、橋本学自身のリーダーバンドでの演奏より、こちらでの演奏の方が「主役感」を大いに発しているのだ。なぜなんだ。不思議。
大満足で帰宅して、今日一日の体験が明日からの糧になればよいなという淡い期待を持って就寝したのだが、朝起きた瞬間からヘコんでいた。
なんだかな。自分がよくわからない。乙一読もう。
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