「会いに行く」とこころに決めたものの、その直後に全く不本意な形で会社をクビになったり、Nがドイツに旅立ったりWが御蔵島にイルカに会いに行ったり…と、収入はないのに出費ばかりがかさみ、資金繰りのメドが全然つかず、「遊びに行くよ!」というセリフを噛み殺しながら、ママとメールのやりとりを続けていた。
ママとさよならをして19年という時間が経過した。その時間の中で、ママもわたしも、辛い思いや悲しい思いを存分に味わい、わたしはママからのメールに度々涙し、また、わたしのメールを読みつつ涙しているママの姿を想像することは難しくはなかった。
Nがドイツへ行くための航空チケットを手に入れる際、担当のお姉さんに、何気なく「来年の4月くらいの米国往復チケットって、いつぐらいから出てきますか?」と尋ねていた。ゴールデンウィーク前の4月辺りにチケットが安いというのは、前回の渡米の際に経験として知り得ていたのだ。お姉さんに尋ねることで、自分の再渡米が4月なんだ、ということを自らに言い聞かせ決意を頑丈にする結果となった。お姉さんの話では、年明けからぼちぼちと…ということだった。働くぞ!と当時無職だったわたしは、にわかに意欲を燃やした。
その後仕事に就けたのだが、ネコたちのこともあり、お金は流出していくのみ。財布の中身はいつも、渡米への絶望を主張していたのだが、わたしの精神はあまりへこたれることはなかった。「行く」とこころさえ決まれば、今現在手元に資金がないことさえも、なぜか不安要素にはなりえなかったのだ。
年を越して、今年に入ってから、ウェブで日米間の航空チケットの相場をチェックするようになった。具体的に「最低〇円かかる」という情報を仕入れることは、更に刺激になった。そして。ママに会いに行くんだ!という思いが全くゆるぎのないものになった2月のある日、わたしはとうとうママに、「会いに行くよ」とメールで宣言することができたのだ。
もちろん、ママの返答は喜びと嬉しさに満ちていた。ありったけの言葉を使って、大きな驚きと歓迎の気持ちをわたしにぶつけてきてくれた。そこに、19年の時の隔たりは微塵もなく、あの時あのままのママがメールの向こうにいた。
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