貪欲と野心的についての、シンプルかつ的確な指摘を引用した。訂正しておかなければならないのは、わたしがスピノザを読んでこの一節をみつけたわけではないということ。エーリッヒフロムの『生きるということ』という本を読んでいるなかで出会ったもの。引用されているものを引用したに過ぎない。この『生きるということ』という書物。わたしの蔵書棚にひっそりと隠れていた。そこにいたのは、ずーっと知っていた。が、果たして自分が読了したのかどうかも忘れてしまっていた。久々にその埃まみれの本を開いてみると、やはり読んだ記憶が残っていない。本はとにかくたくさん持っているが、全てを読了しているわけではないので、こういう事態はよくある。目に飛び込んできた「目次」たちが非常に魅力的だったので、すぐに読み始めた。
原題は『TO HAVE OR TO BE?』。おそらく、こちらのタイトルの方がすんなり体に染み込んでくる。読み進めれば進めるほど、しっくりくる。フロムはドイツ人社会学者。この著書はまるで哲学書を彷彿とさせるタイトルであるし、内容も相当に哲学。キリストもシュバイツァーも仏陀もフロイトもソクラテスもマルクスもエックハルトも、なんだかみんなみんな登場してくる。わくわくする。でもあくまでも、社会学者の書物なので、それらの思想をお披露目してお終いでは決してない。きちんと社会学的アプローチでもって世界を俯瞰し、問題点の改善方法など具体案が盛り込まれている。
読んでいくなかで、ところどころ、ページの端が三角に折られていることに気付く。よく通販雑誌などを眺めている時に、「欲しいな」と思った商品の掲載されているページを後で見つけやすくするためにやってしまいがちな、あんな方法で。んーー。この本読んだことあるのかな。でも、全く憶えていない。ところが、更に読み込んでいくうちに、「わたし、これ絶対読んだ!ええ、読みましたとも!」と認識しないでいられないことに遭遇する。
わたしは読書するときに、ページの端を折ったり、あげく気に入った箇所にはラインを引く癖がある。Nからは、そういう読み方を軽蔑されるのだが。仕方ないじゃないか。というか、わたしの本なんだから好きにしていいじゃないか。そういう行為に至るのは、わたしのその「本」への愛情の印なのだから。でもって、見つけてしまった。線を引っ張ってる箇所を。かなり若い頃に読んだのだろう。そしてその後のわたしの人生に、大いに影響しているはずだ。
『出産の苦しみのすべてが女のものであることを考えると、家父長制社会で子供を作ることが女に対する露骨な搾取という問題であることは、ほとんど否定できない』
上記の部分で、水色の蛍光ペンのラインを見つけた。その線はもう微かにしか見えないほどに色褪せている。
これを発見した時は、思わず吹き出した。おかしかった。「若かった自分、ウケる」と思った。
まだ読み終わっていないのだが、現代社会、持っては消費して…のこの社会がいかに病んでいるかを実感してならない。「持つ様式」でしか生きていけないヒトビトが、いかにそれがいわゆるフツーのヒトビトだとしても、もはやわたしの目には「異常者」にしか映らなくなっている。やべぇ。
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