この国の未来を真剣に考えるならば、こどもたちへの「教育」に視線が真っ先に注がれなければと常に考えている。では、「教育」とはなんだろう、その定義は人によって様々であることは想像に難くないが、目指す場所は同じであった方が好ましいに決まっている。
そんなことを、このわたしのわずかばかりの脳みそで悶々を悩まずにいられない理由はあれこれとあるのだが、昨日ふと目にした、塾とか予備校とかいうものの看板にあった「一流校主義」というようなキャッチコピーが頭に張り付いて離れなくなったからだ。一流校として思い浮かぶ学校はいろいろあるのだが、じゃあその一流校は一流のヒトビトを果たして排出しているのだろうか甚だ疑問である。先ごろ心底むかついて、読んでいた新聞を思わず床に叩きつけてしまった再生紙の偽装事件。あそこで頭を下げていた大手製紙会社のヒトビトだって、もれなく所謂「一流校」を出ているヒトビトであろう。この事件更にむかついた、というか呆れて笑いしかでてこなくなったその後の話として、偽装していた紙を捨てると言い出した…というものがあったが、こんな発想しか生み出せないヒトビトが「一流校」出身?一流校とは、頭悪いヒトビトを製造するところなのか?一流校を出て大手の企業に入ってそこそこ昇進してきっとそこそこお金を持つと、ヒトは「バカ」になってしまうのか?ならば、今わたしたち世代の親たちは、そのこどもらに暗に「バカになりなさい」と躍起になってお勉強を押し付けているのか?極論すぎるかもしれないが、そんな側面をはらんでいる可能性は多分にあるわけであるし、ましてやその可能性の有無さえ感じることもできないバカ親だっているのである。その親が一流校をでていたとしても、バカはバカでしかないのである。教育の目指す先は「幸せ」でしかないと信じている。そうすると、この国の大人と呼ばれるヒトビトは「幸せ」をはき違えているとしか思えないのである。
わたしは、こどもが幼い頃から、「命には限りがある。いつか、わたしもあなたも、終わるのだ」ということを再三話してきた。だからこそ、刹那にいきるのではなく、よりよく楽しく生き抜いてもらいたいという願いを込めていた。どんなに苦しくても悲しい気持ちに囚われても、今自分の命があることがすごい、と感じられるヒトになってもらいたいと思っていた。そう思えることができれば、自分の命を存分に輝かせることができる場所は、決して目の前に見えている景色のなかだけではないということに気付いてくれるはずだと考えてきたからである。そして、傍らにいる他の命を慈しむこともできるはずだと確信していたからである。「幸せ」とは押し付けではありえない。自分が自らで感じ取れるか否か、のみである。「一流校」に向かって死に物狂いでお勉強させれば、こどもたちが「幸せ」を感じ取れるこころを育むことができるのか?とこの国の大人と呼ばれるヒトビトに尋ねてみたい。
ゆとり教育の是非が云々されているが、わたしは「ゆとり」の方向性は決して誤りでなかったと思う。わが子たちは、「ゆとり」の最先端に置かれた。評価対象にならない“総合”という教科に何故かわたしがこころ躍らせた。この“総合”に英語教育をあてがってきた学校も多くあったようだが、わが子等の小学校は、こどもたちを近所にある江戸川に向かわせた。低学年の頃は、長靴持参で毎日毎日江戸川通いをしていたものだ。帰宅して生き生きとわたしに江戸川報告をしてくれるこどもたちをみることが、わたしは大好きだった。…結果、所謂学力の低下が懸念され「ゆとり」の見直し、ということに至るようだが、「教育」の場所で結論を急ぐことはやめてもらいたい。たかだか10年にも満たない取組みの結果を全てにしてもらいたくない。九九があやふやでも、台形の面積をもとめられなくても、「命がすごい」ということを肌で感じ取れるこどもたちの方が、絶対に人生を有意義に楽しく過ごせるに決まっているのだ。
もし、完全に「ゆとり」を見直して、この国の教育システムが学力向上にひた走ることを目指すのならば、一切の感傷を排除して、お勉強に徹することのできる環境を作ってもらいたい。中途半端に、こころの教育などやってもらいたくない。そんなことは、各家庭で保護者がやればいいのだ。この国が将来的にどのようなニンゲンを作り出していきたいのか、義務教育という現場では、そんな差し迫った命題に向かい合っているという自覚をもってもらいたい。もちろん、わたしたち大人と呼ばれるヒトビトも言わずもがなである。
現在の義務教育というシステムと闘い尽して、ようやくその勤めから解放されたNであるが、思いがけず彼女の口から感謝の言葉を聞けた。そこにいたヒトビト、友達や先生たちへの感謝である。憎むべきは制度であって、その場に存在するヒトビトではないということを、彼女は理解してくれたようでわたしは非常に嬉しかった。そして、今後も、もうしばらくの間は彼女にぴったりと添うて、「幸せを感じ取るこころ」を共に育んでいきたいと新たに決意した。
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