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1.26.2008

ねこ③

 トーノが亡くなってしばらくは、気持ちの整理がまったくつかず、後悔と懺悔と悲嘆と憎悪とが、わたしの全身を満たしていた。「いのちの価値」について毎日悶々と考えていた。やっとどうにか、考えるだけでは何も生まれてこない、次は誰をうちに迎えようか、と前向きな思いが再び芽生え出したと同時くらいに、事件が起った。
 群れに突然現れた大きな男の子ねこが、群れの一人にケガを負わせた。ここでもまたNSさんの活躍により、ケガをした子は即座に病院に連れていかれ、事なきを得た。が、こちらが予測していた以上にケガは深く、3針ほど縫わなければならなかった。当座は入院していられるので大丈夫だとしても、退院したての子を寒くなり始めた外の、あまり清潔とはいえない環境下に放り出すことはしたくない…「うちに入れよう」。決断に時間はかからなかった。

 外傷の手当てとともに、去勢の手術も終えたtaceは、このような過程を経て我が家にやってきた。夏の夜中、わたしが外をふらふら歩いている時に遭遇した、cantoと共にいた三人のうちの一人がtaceだった。その時はまだ、片手で乗り切りそうな大きさだったのだが、NSさん始めこの界隈でのらねこたちにご飯をあげてくれている人々のお陰で、taceはすっかり成長していた。cantoとは正反対の性格、ご飯をもらいつつもニンゲンには警戒心をむき出しで、決して自らニンゲンに近付くことはなかったので、わたしたちに果たしてこころを開いてくれるのかというのが非常に不安だった。
 しかし、我が家のねこべやでtaceが入っているキャリーの扉を開けた瞬間、そんな不安は宇宙の彼方に飛んで行った。taceはcantoの姿を見るや否や、まるで「兄者ーー!」(訳・N)と叫んでいるかのように、猛烈な勢いでcantoの元に駆け寄っていった。そういえば、ノラ時代taceはcantoがだいすきで、いつもあちこちに放浪するcantoに、従者のようにくっついて歩いていた。久し振りに再会できたcantoに、taceはしきりにすり寄って体をぶつけ、精一杯喜びを表現しているかのようだった。cantoが近くにいる安心感によるのか、難なくわたしたちにもこころを開いていってくれた。
 tonoの死を経験したからこそ、怪我を負ったtaceを迎え入れることを即決できた。絶対こんな形で死なせたくなかった。それが例え、わたし自身のエゴ、ひいては、「人間のエゴ」として第三者に受け止められたとしても。目の前にいる「いのち」から、困っているというメッセージが自分のアンテナに届いてきたら、敏感に素早くキャッチしてアクションしたい。

 ニンゲンの発達した頭脳や複雑な感情は、きっとそうするために授かったものである、と信じてやまない。



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