2008年も終わり。人並みに感慨深げな気分に。振り返ってみたくなる。
今年はこころの底から、「健康って偉大だ」と思わずにいられなかった。そういえば昨年の丁度今頃は、自分が膀胱炎になってしまい、まさにこの時間は、後にWが入院した病院の救急外来に駆け込んでいたのだ。病院帰りの車中から見た、某ねずみーらんどで打ち上がっている年明け花火がきれいだったなぁ…。その膀胱炎、治りが非常に悪く、結局2月に入ってやっと完治したのだった。Wのことも言わずもがな、とにかくも、体が元気であるというのは、感謝の対象になりうるのだなと、恥ずかしながらこの年齢になって本気で思えるようになったのだった。
このブログというツールを使っての、あれこれ文章書き殴りも、年頭から開始した。こころの中で膨らんでいる様々な思いを書き付けていく作業というのは、楽しい半分苦しい半分だった。思いを文章にするという行為は自分にとって、その思いを整理する行為なんだということも改めてわかった。なので、文章にしていない「思い」たちは未だぐしゃっとしていて、グズグズドロドロのままわたしの中で燻っているのだ。行く行くは整理できればいいのだが、と淡い期待を来年に持ち越してみる。
2007年末から引き続き、ネコたちにも大いに振り回された。なんだかんだで、結局我が家に生息するネコどもは現在6匹。ぎうにうがなかなか里子に出れず、去勢もできておらず。ハハも、うまくいけば里親みつかるかもな、とNと僅かに期待をしていたのだが、どうやらこいつは目が悪いようなので(医者にみてもらったわけではないが)気軽に里親募集をかけられずじまい。「あー。うちの子になっちゃうのかね…」とNもわたしももうやる気ゼロの諦めモード。はぁ。いっそのことネコカフェでも開いちまうか。え。あ。無理か。ネコカフェ訪れるヒトビトって、癒されるのが目的だったな。そうだ。そういえばうちの子たち、ニンゲンを癒す能力皆無だったわ、ぐはははは。
Wのお供をしつつ、キッズダンスに大ハマリしてしまったのも2008。今わたしのケータイ待受け画面はウェブ上で拾ってきたNちゃんのしゃ・し・ん!いやぁ。先日新木場であったイベントに、このNちゃん見たいがためにN、W引き連れて参ってきたのだが。なんとNちゃんチームは見事バトルで優勝!結果が発表された瞬間、全くカンケーないわれわれが思わず「きゃーーーーーーー!!!!」という歓声。Nちゃん関係者らからすれば、何あいつら的な感じだったろうと思われるところだが、いやいや、嬉しいものは嬉しい。帰り際には我慢できずにNちゃんのお母様らしきヒトにお声をかけてしまった。でもって、この日はまったくもってNちゃんのみが目的で会場に行ったのだが、入場のために列に並んでいたら…あ!え!あれAPE☆MENじゃん!とか、え、え、え、え、え、あの子M3 Mstyleのお兄ちゃんだよね、うわうわ、あの衣装パンツライダーじゃねーーかよーーー!とにわかキッズダンスファンの我々は、萌えに萌えまくらざるをえない光景をいくつも目にしてしまったのだった。あぁぁぁあ、しーあーわーせー………なんというか、またもやWがきっかけでとてつもなくマニアックな世界にはまり込んでしまい、Wには「ありがとう」とか「このやろう」とか複雑な感情を抱いている。
あぁ。年越える前にアップロードしなきゃ。
12.31.2008
12.30.2008
12/13にあったコンテスト
2度目のコンテストチャレンジ。結果は残念でしたが、彼女たちは本当に楽しそうで、キラキラ輝いておりまぶしいくらいだった。彼女たちのお母さんたちとも初めてたくさんお話したのだが、皆さんWの体のことを非常に心配してくれていたようで、なんとも言えないうれしい気持ちになった。当のWは、前回上げた動画の時よりはイキイキとした動きを見せてくれた。ちょっと胸をなでおろす。だってさー、コンテストよコンテスト。足引っ張ったらやじゃん。
コンテスト終了後、解散前のショット。美女に囲まれ幸せW。
その後、W③
Wについて、スキップしていた部分を詳しく。
Wは10/4に退院した。
担当の先生の説明によると、各種検査の結果、本来ならば逆流してはいけないパーツ(腎臓から膀胱に伸びている尿管という部位)で、Wの尿は膀胱から腎臓へ逆流しているらしい。逆流が腎臓の炎症の原因になっていたのではということ。そして、逆流箇所からつながっている左側の腎臓は僅かに欠損していた。
先生の説明をわたしと共に聞いていたWはみるみる顔色が悪くなり、先に部屋に戻り、あろうことかおいおい泣いていた。かわいそうに。しばしわたしも一緒に泣いた。
退院は、炎症が完全に治まったからできたということであり、根本的な解決はまだなされてはいなかったのだ。入院中に認められたそれぞれの問題症状は、今回の「炎症」にのみ起因していた可能性も否めないということ。腎臓の欠損は今回の炎症で少しばかり傷付いてしまっただけかもしれない、尿の逆流はやはり今回の炎症の後遺症として残っているだけかもしれない…なので、完全に「炎症が無い」状態でのこれらの臓器の撮影が必要となり、そこで同じ症状が認められたら、小児外科を受診することを勧める、と丁寧に説明された。
そして、その再検査が先日、25日にあった。
結果は、入院時と何も変わらず。腎臓は欠けており、逆流も認められた。小児外科のある都内の病院の受診を、年明け早々の9日に予約した。紹介状を書いてもらい、腎シンチの写真と膀胱造影の写真を手渡され、受診の際それらを小児外科の先生に見てもらうよう言われた。
K先生(女、かわいい)の適切なわかりやすい説明とWへの優しい激励とで、病院内ではそんなに意識できなかったのだが、相当ショックだった。覚悟はしていたはずなのだが、非常にショックだった。溢れそうになる涙を何度も堪えた。その日はクリスマス。街全体が浮ついて華やかで、キラキラしているのに、Wは丸一日病院にカンヅメで非常に痛い検査をされ、挙げ句、結果は喜ばしいものではなかったのだ。どうしてこんなにいい子がこんな目にあわなきゃならないのか。苦しまなきゃならないのか。あまりにも理不尽な出来事のように感じ、怒りさえ覚えた。
と同時に、自らを責める感情もフツフツと湧いてきた。仮に腎臓の欠損が先天的なものだとしたら、きちんと生んであげられなかった自分が悪いのではないか、とか。4年前の原因不明の高熱時にどうして大きな病院に連れて行かなかったのか、とか。記憶は薄れているが4年前以外にも一度くらいやはり単なる風邪にまつわるものとは思えない高熱を出していたかもしれない。どうして、放っておいたのか…等等、基本属性「自虐」に籍を置くこのわたしが、自分を責めずにいられるわけがない。
でも。当然だが、そんなことでWの諸症状が消え去るわけではないのだ。あたりまえ。もう誰がなんと言おうと、前を見て毅然と歩いていくしかないのだ。「病気」という事実に「こころ」が負けてはだめなのだ。
帰り道、Wにかけられた言葉。「まぁ、そんなに落ち込むな」と。だよな。一番辛いのはおまえだよな。すまぬすまぬ。この闘い、まだまだ先が見えない遠い道のりになりそうだが、わたしも精一杯努力していくよ。おまえがやりたいことを全うしてしていけるように、わたしも最善を尽くしていくよ。
Wは10/4に退院した。
担当の先生の説明によると、各種検査の結果、本来ならば逆流してはいけないパーツ(腎臓から膀胱に伸びている尿管という部位)で、Wの尿は膀胱から腎臓へ逆流しているらしい。逆流が腎臓の炎症の原因になっていたのではということ。そして、逆流箇所からつながっている左側の腎臓は僅かに欠損していた。
先生の説明をわたしと共に聞いていたWはみるみる顔色が悪くなり、先に部屋に戻り、あろうことかおいおい泣いていた。かわいそうに。しばしわたしも一緒に泣いた。
退院は、炎症が完全に治まったからできたということであり、根本的な解決はまだなされてはいなかったのだ。入院中に認められたそれぞれの問題症状は、今回の「炎症」にのみ起因していた可能性も否めないということ。腎臓の欠損は今回の炎症で少しばかり傷付いてしまっただけかもしれない、尿の逆流はやはり今回の炎症の後遺症として残っているだけかもしれない…なので、完全に「炎症が無い」状態でのこれらの臓器の撮影が必要となり、そこで同じ症状が認められたら、小児外科を受診することを勧める、と丁寧に説明された。
そして、その再検査が先日、25日にあった。
結果は、入院時と何も変わらず。腎臓は欠けており、逆流も認められた。小児外科のある都内の病院の受診を、年明け早々の9日に予約した。紹介状を書いてもらい、腎シンチの写真と膀胱造影の写真を手渡され、受診の際それらを小児外科の先生に見てもらうよう言われた。
K先生(女、かわいい)の適切なわかりやすい説明とWへの優しい激励とで、病院内ではそんなに意識できなかったのだが、相当ショックだった。覚悟はしていたはずなのだが、非常にショックだった。溢れそうになる涙を何度も堪えた。その日はクリスマス。街全体が浮ついて華やかで、キラキラしているのに、Wは丸一日病院にカンヅメで非常に痛い検査をされ、挙げ句、結果は喜ばしいものではなかったのだ。どうしてこんなにいい子がこんな目にあわなきゃならないのか。苦しまなきゃならないのか。あまりにも理不尽な出来事のように感じ、怒りさえ覚えた。
と同時に、自らを責める感情もフツフツと湧いてきた。仮に腎臓の欠損が先天的なものだとしたら、きちんと生んであげられなかった自分が悪いのではないか、とか。4年前の原因不明の高熱時にどうして大きな病院に連れて行かなかったのか、とか。記憶は薄れているが4年前以外にも一度くらいやはり単なる風邪にまつわるものとは思えない高熱を出していたかもしれない。どうして、放っておいたのか…等等、基本属性「自虐」に籍を置くこのわたしが、自分を責めずにいられるわけがない。
でも。当然だが、そんなことでWの諸症状が消え去るわけではないのだ。あたりまえ。もう誰がなんと言おうと、前を見て毅然と歩いていくしかないのだ。「病気」という事実に「こころ」が負けてはだめなのだ。
帰り道、Wにかけられた言葉。「まぁ、そんなに落ち込むな」と。だよな。一番辛いのはおまえだよな。すまぬすまぬ。この闘い、まだまだ先が見えない遠い道のりになりそうだが、わたしも精一杯努力していくよ。おまえがやりたいことを全うしてしていけるように、わたしも最善を尽くしていくよ。
11.30.2008
その後、W復活編
やっとこの日がやってきた。再びステージの上に立つ日。
苦しい日々は、それに挑んだりあがいたりしながら、気が狂いそうになりながらじっと耐えていけば、ある日突然、嵐が去った気持ちの良い青空を必ず見せてくれるのだな。時間が経つというのは、偉大なことなんだな。
ハハも鳴きやんだし、ミケの避妊も終わったし、ぎうにうもすっかり人馴れして、Nはドイツ語検定受けて、わたしは残業の日々。フツーの生活ばんざい。
苦しい日々は、それに挑んだりあがいたりしながら、気が狂いそうになりながらじっと耐えていけば、ある日突然、嵐が去った気持ちの良い青空を必ず見せてくれるのだな。時間が経つというのは、偉大なことなんだな。
ハハも鳴きやんだし、ミケの避妊も終わったし、ぎうにうもすっかり人馴れして、Nはドイツ語検定受けて、わたしは残業の日々。フツーの生活ばんざい。
10.18.2008
その後、W②
翌日から確実に、仕事→病院→うち、という怒涛の日々が始まった。
Wの熱は点滴治療のお陰で翌々日にはかなり下がっていた。しかしまだまだ点滴は続く。ある程度熱が下がったWは今度は退屈と戦わねばならなかった。もちろんこのわたしも。この期に及んでも、テレビ嫌いは健在で絶対テレビは見せたくなく、ならばとポータブルのDVDプレイヤーを購入、DVDも何本か手に入れた。そして、マンガ。最近(わたしが)はまっているギャグマンガをずらりとオトナ買い。でもないか。何度かに分けて買った。だって持っていくの重いから。結局13巻まで揃えた。でもって何故かコンプリートしていない不思議。あと数冊なのにな。
熱が下がって身体状態が落ち着いてくると、わたし自身にあれこれ欲がでてきてしまった。「いつダンスに復活できるのか」…。10月から11月にかけては、彼の所属するチームはイベントラッシュなのだった。4月から着々とレッスンを積んできて、ようやくたくさん人前で披露できる!という矢先の病気だったのだ。ただし、そんなことは先生には絶対尋ねられなかった。とにかく治ってもらいたいという基本的な希望からは、非常にかけ離れた浅ましい醜い思いのような気がして、そんなことを思ってしまう自分がイヤでイヤで仕方なかった。Wはここでもひたすらマイペースで、「焦ってもしょうーがねーじゃん」くらいのことを彼に言われた。自分の度量の狭さにほとほと嫌気がさした。
とても不思議なのが、入院していた約2週間のことをわたし自身あまり記憶に留めていないということだ。点滴が外れた日のこと、苦しい検査があった日のこと、そういう特別な日のことは覚えているのだが。毎日、朝起きて仕事に行って、早めに切り上げて病院に向かって、消灯時間とともにうちに向かいつつ買い物をして、帰宅して夕飯食べながら洗濯して、風呂入って寝る→朝起きて…の繰り返しを永遠に続けていただけのような気がする。もちろん、その繰り返しの中でも、元気のある日もあったしない日もあった。励ますのに疲れた日もあった。Wと一緒に泣いた日もあった。病院から乗るバスの中ではいつも涙が溢れて仕方がなかった。そんな「気持ち」の大きな変動が存在したにも関わらず、具体的には思い出せないのだ。ただし、一つ。Wが入院してから、再び現れた大きなわたしの宿題。
「生きるって、なに?」
繰り返される日々の中で、これだけがズンズンと大きく立ちふさがっていたということは、しっかりと記憶に留まっている。
CT検査、腎シンチグラフィ、膀胱造影、という滅多には受けられない検査の数々。そして三日に一度くらいペースの血液検査。その結果、Wの病気は「上部尿路感染症」の一部である「巣状細菌性腎炎」という診断が下った。
Wの熱は点滴治療のお陰で翌々日にはかなり下がっていた。しかしまだまだ点滴は続く。ある程度熱が下がったWは今度は退屈と戦わねばならなかった。もちろんこのわたしも。この期に及んでも、テレビ嫌いは健在で絶対テレビは見せたくなく、ならばとポータブルのDVDプレイヤーを購入、DVDも何本か手に入れた。そして、マンガ。最近(わたしが)はまっているギャグマンガをずらりとオトナ買い。でもないか。何度かに分けて買った。だって持っていくの重いから。結局13巻まで揃えた。でもって何故かコンプリートしていない不思議。あと数冊なのにな。
熱が下がって身体状態が落ち着いてくると、わたし自身にあれこれ欲がでてきてしまった。「いつダンスに復活できるのか」…。10月から11月にかけては、彼の所属するチームはイベントラッシュなのだった。4月から着々とレッスンを積んできて、ようやくたくさん人前で披露できる!という矢先の病気だったのだ。ただし、そんなことは先生には絶対尋ねられなかった。とにかく治ってもらいたいという基本的な希望からは、非常にかけ離れた浅ましい醜い思いのような気がして、そんなことを思ってしまう自分がイヤでイヤで仕方なかった。Wはここでもひたすらマイペースで、「焦ってもしょうーがねーじゃん」くらいのことを彼に言われた。自分の度量の狭さにほとほと嫌気がさした。
とても不思議なのが、入院していた約2週間のことをわたし自身あまり記憶に留めていないということだ。点滴が外れた日のこと、苦しい検査があった日のこと、そういう特別な日のことは覚えているのだが。毎日、朝起きて仕事に行って、早めに切り上げて病院に向かって、消灯時間とともにうちに向かいつつ買い物をして、帰宅して夕飯食べながら洗濯して、風呂入って寝る→朝起きて…の繰り返しを永遠に続けていただけのような気がする。もちろん、その繰り返しの中でも、元気のある日もあったしない日もあった。励ますのに疲れた日もあった。Wと一緒に泣いた日もあった。病院から乗るバスの中ではいつも涙が溢れて仕方がなかった。そんな「気持ち」の大きな変動が存在したにも関わらず、具体的には思い出せないのだ。ただし、一つ。Wが入院してから、再び現れた大きなわたしの宿題。
「生きるって、なに?」
繰り返される日々の中で、これだけがズンズンと大きく立ちふさがっていたということは、しっかりと記憶に留まっている。
CT検査、腎シンチグラフィ、膀胱造影、という滅多には受けられない検査の数々。そして三日に一度くらいペースの血液検査。その結果、Wの病気は「上部尿路感染症」の一部である「巣状細菌性腎炎」という診断が下った。
その後、W①
9/18の夕方、40℃以上の高熱を出したWを連れて救急外来へ。高熱以外に際立った症状はなにもない。鼻も出ない咳もでない。喉も痛がらない。熱の高さの割りに意識がはっきりしており、食欲もそこそこあり水分も自ら摂れる。実を言うと、4年前の夏にも同じような高熱に見舞われたことがある。その時は近所の小児科へ行ったのだが、医者は首を傾げながら「きっと夏風邪の一種でしょうね」と診断、抗生剤を処方されてお終いだった。抗生剤が効いたのか、徐々に熱が下がり、きちんと回復に向かい、それはそれでわたしの記憶の中でも「お終い」になっていた。しかし再びその記憶が甦り、近所の医者では埒が明かないと瞬間的に感じ、救急ではあるが大きな信頼のおける病院へ連れていくことを決断した。問診、聴診、触診と一通り診察を受け、尿検査血液検査の必要性を医者に伝えられる。そして、早々に点滴に繋がれることに。「やっぱりただの風邪じゃないんだ」…4年前の高熱の際の釈然としない診断、その時と全く同じ症状で苦しむW、目の前にある事実と4年前の光景とが頭の中でぐちゃぐちゃに混ざり合い、胸が潰されるようななんとも言えない不安な気持ちでいっぱいになった。
点滴を受けながら体を冷やしながら、うなされるW。うなされながら思わず「母さん、オレ死なないよね」と。「殺さない。わたしが絶対殺すもんか」とわたし。しかし、(その時点ではまだ)原因の定かではない熱に侵されながら、うなされ、瞼を痙攣させ、時折笑みを浮かべたりするWの様子を凝視していると、本気で死んでしまうんじゃないか、と正直たまらなく怖かった。
血液検査を元に、即入院を告げられる。腎臓での炎症が疑われるとのこと。先生は丁寧に優しくいろいろとわたしとWに説明してくれるのだが、頷きながらも、脳に全くそれらの説明が届いていっていないことがわかった。「どうして」とか「治るのか」とか、あまりにも感情的な思いばかりが占拠してしまっていたからだ。心理的にとても救われたのが、担当の先生(男・若い)がとても優しい先生で、熱で苦しむWの頭や頬を何度も何度も撫でてくれたこと。直接言葉にこそしなかったが「大丈夫だからね」とWに語りかけてくれているようで本当に安心できた。
その場で腎臓をエコーで診る。翌日にCTを撮りもっと詳しく腎臓を診るということ、このまま点滴治療を続行する旨を伝えられた。そしてその後、入院の手続きをしてそのまま病室へ向かった。
…ざっと18日の夕方からのことを振り返ってみたのだが、Wと救急外来に到着してわたしが病院をあとにするまで、実に6時間も経過していたのだった。
病院までの足になってくれて、この6時間の間同じように不安な気持ちを抱きながらずっと待っていてくれたH氏。本当にありがとう。もっとも、帰り道、「よーし、なんか食って元気だそうぜ!」と走っている途中に見事にパンクしてしまったのは呆れてしまったが…今やそれさえただの『ネタ』になってしまうのは間違いなくあなたのお陰だ。
点滴を受けながら体を冷やしながら、うなされるW。うなされながら思わず「母さん、オレ死なないよね」と。「殺さない。わたしが絶対殺すもんか」とわたし。しかし、(その時点ではまだ)原因の定かではない熱に侵されながら、うなされ、瞼を痙攣させ、時折笑みを浮かべたりするWの様子を凝視していると、本気で死んでしまうんじゃないか、と正直たまらなく怖かった。
血液検査を元に、即入院を告げられる。腎臓での炎症が疑われるとのこと。先生は丁寧に優しくいろいろとわたしとWに説明してくれるのだが、頷きながらも、脳に全くそれらの説明が届いていっていないことがわかった。「どうして」とか「治るのか」とか、あまりにも感情的な思いばかりが占拠してしまっていたからだ。心理的にとても救われたのが、担当の先生(男・若い)がとても優しい先生で、熱で苦しむWの頭や頬を何度も何度も撫でてくれたこと。直接言葉にこそしなかったが「大丈夫だからね」とWに語りかけてくれているようで本当に安心できた。
その場で腎臓をエコーで診る。翌日にCTを撮りもっと詳しく腎臓を診るということ、このまま点滴治療を続行する旨を伝えられた。そしてその後、入院の手続きをしてそのまま病室へ向かった。
…ざっと18日の夕方からのことを振り返ってみたのだが、Wと救急外来に到着してわたしが病院をあとにするまで、実に6時間も経過していたのだった。
病院までの足になってくれて、この6時間の間同じように不安な気持ちを抱きながらずっと待っていてくれたH氏。本当にありがとう。もっとも、帰り道、「よーし、なんか食って元気だそうぜ!」と走っている途中に見事にパンクしてしまったのは呆れてしまったが…今やそれさえただの『ネタ』になってしまうのは間違いなくあなたのお陰だ。
9.20.2008
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