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1.16.2010

2010年ですね

 年も明け、お正月ムードもすっかり彼方に去ってしまっております。そう、わたしも1月4日には出勤しておったし。お正月、なにそれ食えんの、な感じであっという間に日常に戻りました。
 昨年ギリギリに、子ネコを拾ってしまいました。「らっか」と名づけました。まじで落下していたのです。ゆるやかな傾斜のある歩道脇の、店舗と道の隙間に、らっかは落下していました。道と隙間の地面の落差、1.5メートルぐらいあったでしょうか。久々の定時あがりで、半ばスキップしながら会社から駅に向かう途中、かなりしっかりしたネコの叫び声が耳に飛び込んできました。基本、精神的引きこもりのわたしは、一人で外を歩く時は大抵、ききたくも無い外界からの音をシャットアウトするために、イヤホンを耳に突っ込んで、大音量で、Wのチームのダンス音源を聴きながら、脳内でダンス映像を再現しています。が、たまたまその日は、イヤホンを装着していなかったのです。正直「うわー。聞こえちゃった」と思いました。するりと歩道脇の植え込みに体を滑り込ませて、段差になっているところから下を見る。…あ。いる。茶色い毛玉…。「うわー。見つけちゃったよ」と思わないわけはないでしょう。軽くパニック。いや、大いにパニック。
 その後、ものすごい助っ人参上!!!!このmito_and_tanuさん、朝から落下している茶色の毛玉に気付いており、その時既にもう捕獲する算段が考えの中にあったようなんですね。で、茶色の毛玉を確認する前に、オタオタしているおばさん(わたし☆)を確認してしまったわけですから、おそらく心中穏やかではなかったと思います…。わたしならば、「うわ、うぜーな」と思ったと思います…。
 mito_and_tanuさん、颯爽と現れて、わたしに「危ないですよ」と一声かけて、あらあらおろおろとわたしがしているうちに、あっという間にご自身は捕獲器を取りに近くの(と言っても、電車で30分くらいかかる)ご実家まで行くと言い、電話番号を交換して、行ってしまわれました。
 mito_and_tanuさんが戻って来られて、捕獲器をセッティングし、何回か失敗しつつも、茶色の毛玉は無事捕まりました。捕獲器ごと我が家へ搬送。
 一晩うちに泊めて、翌日NとH氏に朝一でいぶきせんせいのところに連れて行ってもらいました。その時の体重なんと900g!うわ!ちっちぇええぇぇ!どっかのデブの約7分の1だな。ひととおりの診察をしてもらい、2,3日せんせいの所でお泊りすることになりました。で、…だ。この子、誰が面倒見る?てことになりますよね。当然。入院している間は、この子はとっても器量がいいし、まだ子ネコだし、絶対に里子に出せる、里親さん見つかる!頑張って探そう!と強く強く決心していました。
 ですが。退院してきたらっかを見たらば、あまりにかわい過ぎる!おまけに、こいつ攻撃してこない!どこぞのぎうのつくやつなんて、子ネコ時代からうちにいるくせに、なでなでできるようになったの結構最近なんだぜ。手を目の前に出すと、おもっくそ爪出して、人の手、ぺしこん!!!って殴ってくれてたんだぜ。お陰で、Nもわたしもしばらく手が、ちょっとあれなぐらい、傷だらけだったんだぜ!…なのに、おまえは、おまえは…なんていい子なの!…と、いとも簡単に、うちの子決定。
 とはいえ、少々風邪気味だったうちの子と、退院後すぐ接触させるのが怖く(子ネコが風邪ひいたら命取り)、H氏宅でお預かりしてもらうことに。今やらっかはH氏のことが大好きになり、H氏も順調にらっかにメロメロになっており、毎日仲良く遊んでしるようです。もうすぐしたら、うちの子たちと合流する予定です。
 いろんな偶然が重なって、わたしたちの元にやってきた、らっか。何人ものヒトに、そのほとんど消えかかっていた命の灯火をもう一度勢いよく燃やしてもらった、らっか。実は、らっか捕獲の際に、らっかのお母さんらしきネコが側にいたのです。ぎう、とかた捕獲の際のハハの姿が脳裏に鮮明に浮かび、あーー、やり辛いと思ったのですが、意外にもらっかの母は、わたしたちをただ見つめるだけだったのです。その顛末を、動物病院でおしゃべりしていたおばさんにちらりと話したら、「あ、それは、『じゃ、そのこよろしくーー』って母ネコは言ってたんじゃないの?」とおっしゃっていました。きっとそうなんだと思います。なぜかわたしも、捕獲現場で、「かならずこの子を幸せにするから」とらっかの母につぶやいていたのですから。
 ともかく、捕獲に甚大なる協力をしてくださいました、mito_and_tanuさん、本当にありがとうございます。らっかは元気で毎日、暴れまくっているようです(笑)その姿は茶色いちっちゃい怪獣の様です。ちなみに体重は1・9キロになりました!


 わたし、今年の目標決めました。

 ネコを拾わない。
 が、死体は可。(→なんとらっか捕獲直後、Nが近所のノラの亡骸を拾ってきた)

 あと、ダイエット。
 わたしじゃなくて、たーちぇ。尿結石再発なんで。





 

11.07.2009

今更だけど、夏の米国雑感①

 ここにWが参加してきた→world hiphop dance championship
で、わたしとNはお供してきた。


 パッケージされた海外旅行は初めてに近い。高2の冬に2週間ホームステイでサンディエゴ近くを訪れた時は限り無くパックツアーに近かったかな。ラクだな。ほんとうにラク。先導してくれるヒトにほいほいついていけばいいだけなんだもん。ホテル内で困ったことがあっても、その先導人に助けを請うだけでいいのだもの。わたしの脳内の貧弱な英語のボキャブラリーの中から、死に物狂いで『これだ!』という単語を選び出すという作業をする機会が、圧倒的にないんだもの、ラクに決まっている。にしてもだ。やはり英語だけはしゃべれたほうがなにかにつけお得だな、と改めて痛感した。
 そのことは、アスリートとして参加したWのほうがより切実に強烈に実感したようだ。お気に入りのダンサーがいても、気軽に声をかけられない。すごいなと思うダンサーがいても自ら積極的に褒めるための声をかけられない。逆に、他国のヒトに『キミのダンスはワンダフルだ』と褒められても気の利いた返答ができず話を膨らますことができない。コンペティションのMCのおっさんが強力におかしいギャグを放って会場が大いに湧き上がっていても、なにがおかしいのかさっぱりわからない。……等々、国内で踊っているだけでは経験し得ないだろう屈辱感や劣等感を味わったようだった。
 ただ、音楽家同士が言葉は通じ合わなくとも、音を出せばコミュニケーションが取れるように、ダンサー同士も一たび体を動かせば互いにコミュニケイトできてしまうんだなこれが。大会が終了してからのセレブレーションパーティで、勇敢にもひとりであちこちの輪の中に飛び込んで踊り、いろんな他国のヒトたちとハグしたり握手しているWを眺めていたら心底羨ましくなった。あー。言葉とは、なんともめんどくさくてウザいツールなんだ、なんて思っちゃったりしちゃったりするわけだ。
 でもでも。それでもやっぱり、英語だけは操れたほうが良い。絶対お得。せっかくニンゲンに生まれてきたのだし、言葉を介してのコミュニケーションも大切にしなきゃだ。英語という言語を身近に置くだけで、自分の視界がパーッと広がるのは事実だ。おまけに、HIPHOPダンスが生まれたのは英語圏。よりその文化的背景に迫るためにも、英語的な発想力や想像力も必要になってくるのではないか。
 帰国したWが、何よりも先にまず鍛えよう!と思ったのは英語力らしい。本人が言っていたから間違いない。そして、笑えるんだが、着実に学校の英語の成績が上がっているという…


team JAPAN 大集合の図!

10.31.2009

この一か月のワタクシ

 ここで書くことをまるっきり放棄してしまっている。一所懸命に『何か』を書き連ねるには、それなりに時間と労力が割かれる。その時間がもったいなくて、書くことから離れていた。
 ならば何に時間を費やしていたのかというと、読書であった。一か月で10冊読んだ。全てフィクションで小説。全て日本の作家さん。ついでをいうと、全てN所有の本で彼女に「読め」と差し出されたもの。全ておもしろかった。
 年頭に立て続けに読んだ3冊の本が、あまりにも重く、極めて正しい内容の本なのにもかかわらず、精神的にへこたれそうになった。全てノンフィクション。おまけにハードカバー。物理的にも重かったわけだ。
 その後意図的に活字から離れた。文字から受ける打撃を避けたのだ。本をよみふけると、確実に簡単に現実逃避ができるのだが、いかんせん、こりゃ逃避しちゃいかんだろうという現実が次から次へと、眼前に現われてしまった…という事実もあったのだ。
 夏を過ぎたら、Wの入院日の心配以外に、こころを重くするような現実はわたしの目の前に現れなくなり、日々をゆるゆると過ごすようになっていた。
 そんな生温い感じの日常を継続するとある日、Nに「読め」と渡された本。宮部みゆきの「あかんべえ」だった。おもしろかった。一気に読んだ。そしてわたしの読書熱≒現実逃避が一気に噴出した。
 そこで気付いたこと。現実逃避ってば、厳しい何かに直面している時には案外できないものなのね。今みたいに、毎日が整然と進行していて、その進んで行く流れの中に身を任せてゆるゆるぬくぬくと生きている時のほうが、俄然したくなるものなのね。…要するに、悩まなきゃならなかったり、落ちてくる涙を拭うことすらできなかったり、無差別にニンゲンが憎らしく感じたり、という現実が存在しない日常は、『退屈』なんだな…苦笑…みたいな。こりゃあフィクションの世界を借りて、悩んだり泣くしかないじゃないか!なんたって、暇なんだから!
 しばらくは、読書バカ、このまま継続模様。今一番読みたい作家さんは、芥川。だがうちには一冊しかない。幸い、会社の近くに図書館あるんだな。今度行ってみよ。

9.14.2009

とにかくすごかったのさ…

 せっかくWのお供で渡米し、HIPHOP DANCE CHAMPIONSHIPを目の当たりにしたにもかかわらず、ここでそれに触れられなかったのには、大いに訳があるわけで。
 まず、渡米10日ほど前。taceが尿結石になった。トイレにいったりきたり、入ったり出たりしているのを目撃し、急遽病院へ連れて行き判明。薬をもらい治療最中に、結構な量の血尿をし、パニクって大慌てで夜間診療で無理行ってちょっとばかし遠方の病院で診察をしてもらうが、膀胱の中がすっからかん(尿がない!)で、尿検査さえできずに、なにもしてもらえず、ただ先生に励ましてもらい帰宅する。渡米前のいたーーーい出費。
 そして渡米3日前。朝、出勤前にネコたちにご飯をあげていたら、notaが激しくくしゃみをしていた。どうしたのかなー、という軽い気持ちでいた。ついでに、taceが、普段ほとんど鳴かないくせに、一人大絶叫していた。結石のこともあって甘えんぼさんになっちゃったのかなー、とこれまた軽く流した。だが、若干の胸騒ぎがしたので、まだ眠っているNに「要観察」の旨メールをして会社へ向かった。Nはその日、世界大会用の髪型造りのためのWにお供して、とおーーーい所の美容院に行く予定になっていた。
 夕方、会社から出てきてケータイを見てびっくり!Nからただならぬ量のメールが届いていた。なんと!我が家のネコたち7人全員が、様子がおかしく具合悪そうで、非常事態なのよーーーーー!!!!というメールであった。とにかく、連れていけるだけのネコを病院に連れていくことにする。が、なにせ、みんなで7人。そんでもって、連れて行くためには捕獲せねばならないのだが、捕まえられるかどうか甚だ疑問な子がほとんど。状態の悪そうな子を優先して、頑張って捕まえて連れて行こう、と。いろいろ体に問題のあるスベさんがまず決定。この子は渡米中入院させる予定でいたので、そのままもう病院に泊まらせてもらうことにする。そして、一番ぐったりしていたnota。この子の捕獲は比較的ラクなのだが、果たして病院で先生を攻撃したりしないかが問題だったのだが、いや、これは連れて行かないとまずいでしょーなくらい衰弱していた。それから、結石中のtace。朝、この子が絶叫していたのにはワケがあったんだね…かーさんわかんなくてごめんよ…こいつも結石が心配で渡米入院を予定していたので、このまま病院にお泊り決定。あと、もう一人くらい…。比較的症状が軽症なcanto。こいつを他3人の代表として診てもらおう、ということで搬送メンバー決定。
 かくして、一気に4人のネコを病院に連れていくという暴挙を遂行するに至ったのだった。あぁ…快く診察を承諾してくださったいぶき動物病院の吉澤先生。本当にありがとうございます。
 診察の結果、風邪ということ。notaは予想通りかなり状態が悪く、インターフェロンと解熱剤を注射。taceも熱が高くインターフェロンを注射。cantoは比較的軽かったので痛いことはせず診察のみ。一人ずつ丁寧に診察してくださる先生が仏様のように見えた。
 居残り組みの分のお薬も処方していただき、入院組のスベさんとtaceを残して、帰途につく。
 ていうか、このネコの大搬送に惜しみなく協力してくれたH氏。あなたもある意味我々にとって神だよ(笑)。なぜあのタイミングで、仕事がなかったのよ。本当に感謝。
 翌々日。celeの具合が芳しくないというNからの連絡を受け、会社帰りに病院へ連れて行く。こいつはさーほんと厄介なんだよなー。だってさーマジで攻撃してくるからさー。でも、そんなことは言ってられないワケで、Nが死闘の末捕獲してくれ、これまた無理言って近所の獣医さんに時間外診察をしてもらう。そして、インターフェロンを注射。「ただの風邪なんだから、そんなにパニくらないの」とそこの先生には優しくなだめられたのだった。
 そんなこんなで、我が家のネコども全員病持ちとなり、はぁ……アメリカなんて行ってられるのかな…やっぱり残していけないよな…やっぱり残るとしたらわたしだよな…もうやってらんないよ…ばか…なんでこんなにネコなんか保護したし…ばか…わたしのばか…と、まあ、全世界を恨むに至った(笑)
 Nはと言えば、全員が風邪をひいたとわかった瞬間に自分が日本に残ることを決意したらしいのだが、celeを診察してもらった時に先生からかけもらった「ただの風邪なんだから…」という言葉にえらい勇気づけられたようで、「大丈夫!帰ってきてみんな死んでるなんてことはないよ!」と晴々した顔で、準備を始めていたのだった。
 準備というのは、わたしたちが留守の間の薬やご飯の小分け。小さなカップを大量に買い込んできて、黙々とそこにご飯と薬を分け入れて、日付を振っていた。というのも、ありがたいことに、留守中ネコたちの様子を毎日覗きに来てくれる人がみつかったのだ。近所のMちゃんと、ネコ仲間のNSさん。その人々が、迷わずご飯を与えられるようにという算段なのだった。
 
 7/29。わたしたちが、すこしばかり後ろ髪引かれながらも、安心してアメリカに旅立てたのは、獣医さん、Mちゃん、NSさん、そしてH氏のお陰に他ならない。本当に本当に心からありがとう!



 滞米中の諸々は後に記すとしてここではおもいくそ端折る。


 8/5。無事帰国。ネコたちはみんな生きていた。よかった。まだまだ全快とまではいかないが、出国時よりは元気になっていた。だが、スベさんだけはそうはいかなかった。風邪による結膜炎が悪化していた。どうやら角膜炎を起こしているようだ。かわいそうに…。もしかしたら目が見えなくなっちゃうかも、という最悪の診断まで下った。また手術?もうこの子にそんなしんどい思いをさせたくない。taceをお迎えの時に、スベさんは一緒には帰ってこれなかった。
 その翌日。Wのチームメイトの一人が、インフルエンザA型に感染していることが判明!ひえー!滞在中仲良くしていた、日本の他チームの子が、そういえば帰国時に高熱が出てウンウンうなされていたのだ。急いで、会社に報告したら、一週間出勤を見合わせてくださいとのこと。仕方ないか。結局、我が家は皆感染していなかったのだけど、Wのチームメイトは3人、他チームの子は10人感染していた。このインフルエンザ騒動のことをネコ仲間NSさんに話したら、「それは、ネコが全部かぶってくれたのよー」と言っていた。そうなのか。ネコたちはわたしたちの犠牲になってくれたのか。でもそうとしか思えなかった。
 ともかく、長い夏休みが突然舞い込んできて、内心ホクホクしていたのも束の間。8/7の昼過ぎに、腰から背中に鈍痛を感じた。長旅の疲れが腰にきたか、はたまた、滞在中の暴食がたたってわたしが増量したせいか、と湿布を貼りながら「整体行って来ようかな」なんて考えてる間に、ドンドンドンドン痛みが増してきた。あまりにも痛いので、家事一切を放棄して早めに寝る。が、寝ている最中も痛い。痛くて目が覚める。次の日はWがイベントで踊ることになっていたので、病院にも行けず、イベントへ。が、ずっと痛い。何をしていても痛い。立っていても座っていても、痛い。間断なく痛みが襲ってくる。なんなのよーこれはー!?と思いながらも、痛い。湿布もきかない。イベントから帰ってきて整体に向かうが生憎の休診…。泣けた。夜に向かって、痛みは絶好調!背面だけでなく、みぞおち辺りにも痛みを感じるようになってきた。「これ、ただの腰痛じゃないかも」と不安になる。痛すぎて寝ることもできないので、救急外来へ向かう。
 救急外来が込んでいて、待っている時間がとても辛かった。痛みを堪えるために無駄にウロウロしていた。そうでもしないと、叫びそうだったから。そのくらい痛かった。
 診察。一通りの問診、聴診、触診。血液検査。レントゲン。そして、CTを撮る。それも造影して。この病院Wが目一杯お世話になって、わたしの中では好感度ナンバー1の病院なんだが、にしても、救急外来でCTまで撮ってくれるのか!と感動したかったのだが、あまりの痛さにそんな余裕も出なかった。点滴をしながら、検査結果が出るのを待つ。もう夜中になっているので、正直眠いのだが、痛くて痛くて痛くて、全く眠れない。おまけに点滴につながっているので、好き勝手にウロウロもできない。辛かった…。
 検査の結果、なんということ、どこを探しても炎症反応がでていないとのこと。即ち、「痛み」の原因が特定できない。従って、痛みを取り除くための処置も処方もできない。えーーーーーまじでーーーーー(涙)。ということで、バファリンレベルの気休めの痛み止めだけが処方され、うちに帰ることになった。
 翌9日。この日もWはイベントで踊る予定になっていた。が、無理。痛くて行けない。痛み止めは全く役に立たず。みぞおち辺りの痛みが増しているように感じたので、薬局に胃薬を買いに行き飲むが、効果は無し。引き続き、痛くて痛くて痛くて痛くて、もーーー!わたし、痛いのに飽きましたーーーー!!!!と何度か発狂する。が、虚しいかな、痛みは治まってはくれなかった。色んな汗をかいて、体がべたべたして気持ち悪かったのでシャワーを浴びると、意外にも、痛みが和らいだ。それも、温度を45℃という強烈に熱く設定した方が心地よいのだ。夏のくそ暑い日にも関わらずだ。にしても、シャワーをかぶっている間のみしか痛みは緩和せず、ベッドの上で痛みと格闘し続けた。夜がきて、それでも治まる気配はない。半泣きになりながら、病院に電話して、またしても救急外来のお世話になることに。でも、結局、なにもしてもらえず。ただ、慰めてもらうのみ(笑)。この日も痛み止めを処方してもらい、そして、「ちょっと眠りたいでしょう」という先生の計らいで、睡眠薬を処方してもらう。
 なぜかわからないが、あんなにも激しくまとわりついていた痛みが、うちに帰るタクシーの中で少し軽くなっているような気がした。呼吸がラクにできる。タクシーの中で、ウトウトしたくらいだ。うちに着いて、痛み止めと睡眠薬を飲んだ。もう、日付は10日(月)になっていた。翌日張り切って、通常の外来に行った。再度血液検査をし、CTをもう一度撮るも、やはり原因はわからず。診察、検査を終える頃には、ほとんど痛みはなくなっていた。…結局、原因不明で、先生も首を傾げながら、この激痛騒動は終了した。
 その日の夕方。Wのチームメイトの母様が亡くなられたという訃報が入る。12(水)、母様のお通夜に参列した。
 その母様の訃報が入った時に、わたしは、なんだか自分の体の原因不明の激痛に、合点がいった。オカルティックに捉えるのではなくて、ただ単純に、「生命」が生まれたり消えたりする時には、膨大なエネルギーの動きがあるはずで、そのエネルギーの動きや波長に、わたしの肉体のアンテナが反応して感じ取ったのかな、と。母様が亡くなられた時間と、わたしの継続した痛みが和らいだ時間がほぼ合致するのだ。

 痛みから解放されてからのドタバタは、先に記した、クラタ騒動である。クラタが終わって、ようやく会社に行けたら、連日の残業祭り。まあ。次から次へと、よくもまあこういろいろと起こるもんだ。でも、この約一ヶ月の間のてんやわんやの中で、わたしは改めて、「感謝する」するということを教わった。そもそも「感謝」できる対象があるということだけでも、幸せなのだなぁと噛み締めざるをえない。わたしがわたしでいられることに、感謝。そしてそれは、わたしの周りに【ある】様々な存在のお陰である。
 
 また一歩、前に進むことができた。

8.16.2009

消えた灯

 8/14の15:40~17:30の間に、クラタは息を引き取りました。
 保護したものの、伝染性の病気が気懸りで自分のうちに入れることを躊躇して、いつも困った時に頼ってしまうH氏に預かってもらっていました。
 獣医さんから処方されたお薬と共に、最初は缶詰ご飯を必至の形相で食べていたクラタ。わたしたちが顔をのぞかせると、力いっぱいシャーシャーと威嚇してくれていました。預かってもらったその日の夜は、「クークー…」と、切なく悲しげな声で断続的に鳴いていたのも印象的でした。
 翌々日には、固形のご飯がもう上手く食べられなくなりました。うちからネコ用のミルクを持ってきて、錠剤の薬を全部粉々に砕いて、溶かして、ミルクに混ぜて飲ませるようにしました。わたしが顔をのぞかせても、シャー、と元気よく威嚇することもなくなってしまいました。瞳孔の開閉が鈍くなり、開いている眼差しが虚ろになり、もう恐らく見えてないんじゃないか…と容易に想像することができました。
 14日の昼過ぎ、ミルクをあげにH氏宅に。朝のH氏からのメールで、「昨夜一度、白目を向いたので、ああ、もうダメかなと思ったけど、持ち堪えた」との旨を聞かされていたので、H氏不在のH氏宅に向かう足取りは非常に重く、動かなくなっているクラタをあらかじめイメージしながら(そうしないと、いざ対面した時に発狂しそうだったから)、H氏宅に入りました。…あぁ。まだ息してる。よかった。クラタ、ミルク飲もうぜ!!!!
 ミルクを用意して、注射器でクラタの口へ運びます。そうすると、クラタは懸命にそれを飲もうと口を動かしてくれました。その健気な動作を見ていると、安直に【安楽死】を考えていた自分が恥ずかしくなりました。ミルクをあげながら、溢れる涙。口をついてでてくる言葉「ごめんなさい」。
 しばらく傍らにいて、H氏宅をあとにしたのが15:40。「クラタ、待っててね」と言い残して。
 17:30。H氏から電話。その瞬間に、クラタの死を認知。涙声のH氏。お花を買って、迎えに行く旨を伝えて電話を切りました。
 実は、H氏からの電話の直前まで、Nと二人でクラタをどうしようかあれこれ話し合っていました。いつも頼っているボランティアのHさんから「安楽死だけはやめてあげて」との助言をもらい、どんなにお金がかかっても、最善の医療行為を施してあげて、クラタ自身が自分で死ぬことをさせてあげよう、と結論付けていたばかりでした。信頼している獣医さんにしばらく入院させるという決断もついて、さあ連れて行こうと思っていた矢先でした。
 亡くなったクラタの顔は、想像してたものより穏やかで、なんだか救われた気持ちになりました。半眼半口、ってこんなかなーと…。まだ息をしていた時は、舌がずっと出ている状態で、口を開けて呼吸していたのですが、その口もきれいに閉じて、舌も口の中に納まっていました。
 誰もいない部屋の中で、そっと旅立ったクラタ。きっと、ニンゲンなんかが見てる目の前で、その瞬間を迎えたくなかったんだろうねー、ノラとしての意地とかプライドがそうさせたんだねー、とNと話しました。

 15日、昨日、火葬を終えて骨を我が家に連れて帰ってきました。やつはこの辺を徘徊していたので、ちょっとずつこの界隈にその骨をまいていこうかと画策中。実は我が家にいる「ハハ」はクラタの母でもあります。二年前わたしが住むマンションでこのハハが子育てをしていました。かわいいねー、とNと見つめていた子ネコたちの中に、実はクラタがいました。
 
 ひと月ほど前に買ったNのネットブック。買ってすぐにデスクトップに置かれた写真は、まだ子ネコ時代の、うちのマンションでお母さんの庇護下にいた、クラタの写真でした。Nがこの写真を、無造作に無意識にたまたまデスクトップに置いたのは、単なる偶然ではないんだろうなぁと今つくづく思います。わたしたちがクラタを呼んだのか、もしくは、クラタがここに還ってきたのか。
   

8.13.2009

死に逝く子




 現在わたしの傍らに、間もなくその時を迎えようとしている子がいます。8/11の夜、ひょんなことからうちの近所で保護。その時点で、全く自分で動くことができない状態でした。涙ながらに動物病院に電話。時間外にもかかわらず、快く診察をひきうけてくれた獣医さんに感謝。
 こんなにも衰弱して動けなくなった原因はともかく、この子が元気になってノラとして再び外をかけめぐることのできる可能性の低さを知りました。【安楽死】という選択肢がいとも簡単に脳裏に浮かぶのですが、Nは「自分で死ぬということをさせてあげよう」と。
 保護して3日。日に日に痩せて、元気もなくなっていくクラタ(行きがかり上そう命名)。命の炎が、少しずつ少しずつ消えていく様を、横で見守るという作業は、今まで経験した中でも最大限の精神的消耗を強いられることとなりました。
 トーノが亡くなった時、その瞬間そばにいられなかったことを悔やみまくりました。が。こうして、旅立ちに向かうのを見続けるのも、苦しいですね。
 

 命は、終わったら、どこへ行くのですか?誰かわたしに教えてください。お願いします。

8.11.2009

喪失

一番、失いたくないものは、なんですか。

その「失いたくないもの」へ執着することは、いけないことではないですよね。

失って初めて気付けること、ということもあるのですが、

一生そんなことに気付けなくてもいいから

失いたくないものが、あります。

失わなくて済むなら、悪魔に魂を売ってもいいくらい。


尊い光が、一つ、目の前から消えました。

この現実を、受け止めるには

まだまだ、わたしは、弱くて浅はかで至らな過ぎ。

自分というニンゲンの卑小さを

痛いほど思い知らされるだけです。


ただ、待っててくれて、ありがとう…

と伝えたいです。


ありがとう。